生きてるってこういうこと!

#青年海外協力隊としてベトナムで過ごす日々。旅が私を変えてくれた。人が私の心を満たしてくれた。どんな時も自分が自分らしくいれるために大切なことはここに記録しました。

青年海外協力隊 2次試験 内容

2018.7.9   青年海外協力隊2次試験

 

試験会場はオフィスビル内。綺麗で室温もちょうどよかった。そこまで緊張していなかったせいか、職員の方の今日の流れや注意事項も落ち着いて聞けた。

私の受験する「障害児・者支援」は技術面接・人物面接共に午後の予定だった。ということは、午前中は何もすることがない。

 

ただ、ここにいるのは皆、協力隊員を希望する者。みんな話したそうだし、元気の良さそうな人が多い。すかさず、隣に座っていた女性が話しかけてくる。

そしたらその隣の人も!!

あ〜なんかこういうのだよ!!今まではこういう人たちを探すのに一苦労だった。ここはやっぱり自分のいるべき場所だ。

結局、持ってきたノートや資料を見ることはなく午前中周りの人と盛り上がってた。希望職種も違う。希望隊次も違うけど、話のテンポがよく合う!!

それでも、やっぱり私の話を聞く人は

「あんた、ぶっ飛んでるわ〜」「行動力すごいわ〜」と言われる始末。

今の私が放っているオーラはポジティブで満たされているようだ。

 

 

昼食を済ませ、

技術面接が15:00〜ということで受験番号が呼ばれる。

先に技術面接とは思っていなかったので、緊張も高まるが、根本的には練習してきたという自信があるから、たとえ圧迫でも動じなかった。

 

面接が始まる。

面接官は進行役の優しそうな女性、専門家の男性、にこやかな専門家?の3人。

終始穏やかだった。

聞かれたことは、

・どうして退職しちゃったの?現職で行けばいいのに。

→真っ白な気持ちで挑みたかったからです。現職という道も考えましたが、私の場合、戻ってくる場所があると、今までの職場の私という枠の中でしか動けないのでは?と思った。

これまで作られた先入観や固まった考えを一度リセットして真っ白で見て見たいと思った。

 

・そうなんだ。完全に切ったんだね、すごい決意だね。常勤だったのに。

でもさ、帰国後何もないんだよ。どうするの?

→帰国後は、生まれ育った地元で教員をする予定です。地元でやるためには、一度今の土地を離れる必要があったので。そのタイミングで退職したのも理由の一つです。

 

・あ〜なるほどね、それなら納得!いいですね〜

 

・希望はスリランカ一筋だね。どうして?要請内容かな?

→もちろん要請内容重視です。でももう一つ理由があります。私はJICAのHPから担任のブログをよく読んでいました。その中に竹下担任のブログがとても印象的でした。彼女の活動は私がイメージしていることにぴったりで、素晴らしい活動でした。そんな時、今年の要請内容を見ていて、気づいたんです。竹下隊員のいるところと同じ学校があると!これはここしかない、と運命的な感覚に陥りました!私はここで活動したいんです!

 

・あ〜竹下さんね!そうだったんだ〜

 

・高等部では作業学習経験した?何した?

→陶芸をしました。

 

・手工芸や木工とかはできる?趣味でもいいけど。紙工でハガキとか作れるかな?

→経験としてはありませんが、ものづくりは好きです。ハガキ作りは見たことあります。

 

・教員してた時に担当してたのはどんな子?

→知的の小学部と高等部です。

 

・ムーブメント教育の資格、大学生でとったんだ〜。実際に教員になってからできた?

→やりたい気持ちはあったのですが、数回しかできませんでした。

・だよね〜、これ任地でやりたいでしょ?

→はい、やりたいです!!

 

・最後に、幼稚部〜小学部と中学部〜高等部だったらどっちが見たい?

→経験として長いのは小学部ですが、自分の力試しには高等部のほうが・・

でもどちらがいいかは、決めれません。与えられたところで全力を尽くします。

 

以上。

思っていた割には、深く突っ込まれずにおわりました。

やたらと高等部の活動を聞かれたこと。他の任地の提案はなかったですが、スリランカに行ける確証もなし。

 

16:30〜人物面談。

優しそうな男性2人でした。終始にこやかでした。

 

・自己紹介と志望動機を2分くらいでまとめてください。

→名前は〜です。

志望動機は、大学時代に行っていた支援級のボランティアで毎回気になったこと、疑問点を担任に伝えたことで1年後、担任から「教員や保護者のように毎日この子たちと関わっているとそれが日常になって小さな成長も見逃してしまいがち。でもあなたのようなボランティアさんは良い距離感であの子たちの成長に気づく。それは私たちにはできないことなの。」と言われ、伝えることもボランティアの役割なのだと気づいた。

また、教員になり身近にいる尊敬する人たちに共通していたのは、以前協力隊員だった、協力隊を目指していた、ということだった。そこから興味が湧いた。一人旅が好きで途上国に行くがいつも現地の人の生活、子供、障害児見るが観光客だと何もできないもどかしさがあった。まさに協力隊は、より近い立場で関われる、自分のやりたいことができるピンポイントの立場だった。

 

・ボランティアでは気になる子に対してどのような支援や関わりをしましたか?

→外国籍の女の子で表情が乏しかったです。まず自分ができることは隣でただただ寄り添うこと。強制はしなかった。彼女の動きを観察して、自然とそばにいるようにした。ゆっくりではあったが、1年後自分から私の方へ寄ってくるようになった。すごい変化だった。

 

・尊敬する人たちは、どこに派遣されたと言っていましたか?

ニカラグアに行きました。そして、現在再びシニアでニカラグアに派遣されています。

 

・あなたは子供達にとってどんな先生でしたか?

→私は子供と関わるときは、強い指導はしないようにしていました。私たちが見ている世界とあの子たちが見ている世界は違うと思います。視野の広さや、感じるものも違います。なので私はあの子たちの目線に立つことを意識していました。また、私はいつも笑顔でいました、明るく振る舞い、子供達のことをたくさん褒めました。

 

・任国で困難なことがあった時どう乗り越える?

→自分の国と同じくらい好きになりたい。困難なことがあっても私はこの国が好きでなんとかしたいんだ。そういう思いを全身全霊で伝えていきたい。

 

・やる気があって任国のためになんとかしたいと思うのは大切だけど、もし相手の人がやる気がなくて、問題意識が薄かったらどうするの?

→気持ちや思いが相手とあまりにもかけ離れていたら、自分の考えややり方は絶対に押し付けない。まずは相手の出方を様子見する。これまでやってきたこと。相手の考えに耳を傾ける。信頼関係が築けてきたら、私の考えも伝えてお互いが納得するまで話し合う。

 

・今までどうやって逆境を乗り越えてきた?

→高校生の女の子で体が大きく他害が激しい子がいた。一番辛いのは彼女。どうにかしたかった。でも毎日私を殴り続ける。流石にしんどくなった。そんな時助けてくれたのは同僚だった。私の思いや意思を尊重してくれたからこそ、助け合えた。私にとっていつだってターニングポイントとなるのは人。人との出会いで私は成長してきた。

 

と、まぁ質問はこんな感じでした。