今思うこと
ベトナムのフエで生活を始めて気づけばちょうど今日で7ヶ月。
え?!そうなの??
なんて自分でも自覚がないくらい月日が経つのははやい。
いつかブログを更新しようと思ってはいたけど。
時間は沢山あるはずなのに。なぜ書かないのか。。そもそも、私今、青年海外協力隊として障害児者支援でベトナムに派遣されています。笑
いや個人的に日記は定期的に書いているし、ストックはたくさんある。でもブログとなると、文章にしなければいけないと、勝手に自分負荷をかけてしまう。。
でも、ここはそんなのどうでもよいか。
とりあえず、いつも内に秘めていることをここでは吐き出していこうじゃないか。
これ私にとってまた新しい挑戦である。
やっぱり発信していこう。
思ったことを。。ここでの経験は私しか知らない。
ここに来てから私の内面は大きく変わった。外見もと答える人もいるけど。
とりかくポジティブ思考になった。根拠の無い自信がいつもある。
なんとかなる。。これが当たり前の精神。
何にも怯えてない。
あー自分愛されてるな。甘やかされているな。と自覚できる毎日。
日本では海外旅行が唯一現実逃避できる時間だった。
夏休みには、必ずリュック背負って一人旅をした。英語話せません。お金もありません。危険とか怖いとかそんなことを考えるよりも、とにかく日本にはない刺激が欲しかった。いわば超ドM人間。
そんな憧れの海外での生活が今では日常。
慣れた。
慣れすぎると、見えなくなってしまうものがある。
当初感じていた人の優しさ、温かさ。
日本では、いつも人の顔色ばかり気にして生きていた。
寿命が縮まる思いで、1日をやり過ごしていた。
人間扱いされない。
ひとりぼっちの毎日。
心も体も休息できずいつも未来への不安でいっぱいっぱいだった。
逃げるように仕事を辞め、行く場所がない。。最後の自分への賭けのつもりでここに来た。
決意をしてからはまるで、待っていましたかというように、道がひらけ、物事がトントンと難なく進み、全てが順調だった。毎日幸せを感じ、噛み締めながら過ごした日々。
生きていてよかった。と何度も何度も思い返していた。
人生何が起きるか本当にわからない。
ここフエは私のために用意されたかのようで、環境も人も全てに置いてパーフェクトだった。
私のエネルギーのガソリンは何と言っても人なのだ。
これが欠けると、一気に落ちていく。それはわかっている。
だからここでの2年間、とにかく現地の人のそばにいよう。と決めた。とにかく、断らない。日本人だからという壁は捨てる。私は日本人という誇りとか、プライドとかない。むしろ私をフエに染めてくれ、ぐらいの気持ちで来た。
配属先のカウンターパートの存在は大きくて。
彼女はとにかく優しい。
温和な性格で、美意識が高い。そしてものすごい観察力。きっと日本人にとっては、苦手と感じる人もいると思う。
日本風に言えば、
おせっかい
世話付き
口うるさい
気を遣えない。
でも、私はそれを全てこう置き換えてみた
私のことが好きでたまらないから、お世話をしたい。
私をまるで赤ちゃんのように思っているから一から教えたいのだ
私を自分のものにしたいのだ。
そんな風に思い変えてみると、私の幸福度は一気に高まり、彼女への愛着度も増すのだ。
それからは、私が身につけた置き換え術は、メキメキと力をつけことは面白いほど順調に進んでいった。
いかにも、配属先に貢献してます、という感じの写真も撮れたし、タイミングよく外部の取材を受けたり、名が知れ渡った瞬間でもあった。
休日には同僚と遊びに行ったり、お家に遊びに行ったり、ご飯をご馳走になったりと。かなり同僚との関係性も縮まり、毎日充実、プライベートも最高な過ごし方をしていた。
でもそんな生活も時間が経つにつれ当たり前なったのか、誘いに断るようになったり、ベトナム語がわからないから、なんとなく自分の悪口を言われているのでは?
仕事中も生徒を叱れないことで、色々とトラブったり。
とにかく前みたいに関われなくなってきた。。
なんだろう。
悶々。ここへ来ての小さな壁。
嬉しいことは山ほどあるのに、それを上書きできない。
チャンスをものにできない。
昔から苦手なのだ。。目の前にこれはチャンスだとわかっていることを、自分のものとしてキャッチすることができない。。いつも余計なことをしてパーになるのだ。
なんだかなー。
明日仕事、理由つけて休んじゃえ。。そう考えたら今週3日しか仕事行ってないや。
みんなも気付いているだろうな。私がみんなを遠ざけていることが。
よくない。これは絶対にだめ。近づいてきてくれたチャンスだけは逃しちゃいけない。空振りだっていいじゃないか。。
そんなことしなきゃいいのに、やっぱり試してみたくなる。真実を知りたくなる。
ねえ、私のことどう思っているの?
毎週行ってた日本語の家庭教師。無料で行っている。その代わり夕食をご馳走になっている。
でも、この夕食も豪華な時と質素な時。私はお代わりできて、子ども達はできない。
そんなに厳しい生活をしているならむしろ、夕食はいらない。と言いたかった。
そこで、
今日は家庭教師行くのいつもより遅れそうだけどどうする?
最近調子悪そうだし、疲れているならまた来週教えに行くからね。
こんなメールを送ってみた。
私の予想では行っても大した時間教えられないし、今関係性がイマイチなのは向こうも知っているから、今日は断るだろう。
日本人的にはこうだ。
でも返ってきたのは、
うん、来てね。私はあなたを待っているよ。
笑
びっくりしたけど、行かない気だったけど、、、
内心嬉しかったのは事実。
彼女にとって、てかベトナム人にとって、0か100しかないのだ。
曖昧なんて考えは存在しない。
来て欲しいから、相手の心配とか気配りとかそんなのどうでもよいのだ。
来て欲しければ、来て。。
嫌なら、うんまた後で。
まだ私は切れてないんだね。
得意の思い込みの技で自分を立て直す。
ベトナム人のイエス、ノーというのは実にはっきりしていて、嘘がない。
これが私を苦しめることもあるけど、でもその分、幸せを十分にかんじることができる。
そんなこんなの7ヵ月目の私である。