〜まぢなんなんっ!インドってさ!〜vol 8
列車乗車間際に、まさかの二人の日本人の女の子に声をかけられ、同い年そして席まで相向かい、という奇跡のような出会いをした私たちは、これまでさんざんなインドのイヤ〜な思い出を上書きしてきたが、ここで一瞬にしてキラキラしたものとなったのだ。
翌日、私たちが降りる駅とはいくつか前の駅で彼女たちは降りた。
この出会いを忘れない。
またいつか日本のどこかで会えたら良いねとそんなことを言ってお別れをした。
彼女たちが列車を降りるとすぐに、多くの乗客が乗り込んできた。私たちの席にはインド人のおばあちゃんが座り、私たちのことをニコニコしながら見ていた。
英語で話しかけてみたが、伝わっていないらしく、英語が分からないようだ。
だが、何度もおやつをくれたので、私たちも日本のお菓子をあげると、ニカ〜と何とも言えない可愛い笑顔で鞄の中に大事そうにしまっていた。
その後、たむと仲良さそうに何やら話している。
言語が通じ合えないのに、一体どうやってコミュニケーションをとっているのか、不思議に思い、2人の様子をじっと見ていると、たむがメモ帳に何かを書いている。
ん?
棒人間が4体。それを線でつないで、おばちゃんに説明しているようだ。
あああ!
そうか。たむは言葉ではなく、絵で自分の家族構成を伝えていたのだ!
なるほど。その発想は私にはなかった。
相手と話したい時、何も言葉にこだわることはないのだ。
すごく単純なことだけど、とても大切なことに気づかされた。
列車は到着時間の2時間遅れでバラナシに着いた。
駅を出ると、すぐさまトゥクトゥクの運転手が来た!今回はとにかくガンジス河に行けたらそれでよかった。
NAKAMURAのこともあったので、かなり気を張りながら運転手と交渉を進め、
いざ!ガンジス河へ!!
バラナシという町は、デリーとは全く違う。暑さが異常だ。45度だと運転手が言っていた。
45度って。お風呂より暑いじゃん。もはや外にいることすら命がけだ。
暑さと日差しで、景色が歪んで見えるほどだ。
そして町にいる人々は、デリーのようにジロジロ見たり、話しかけてくるようなこともなかった。
子供や大人がのんびりと穏やかに暮らしている、そんなイメージだった。
しばらくして、トゥクトゥクは止まり、ここからは歩いて向かうようだった。
口数の少なく、あまり表情を買えない運転手のおっちゃんが付いてこい、と言っている。
おっちゃんの後をついて歩く。
見渡す限り、河らしきものは見えない。
ガンジス河ってとても大きいはずなのに、どうして見えないのだろう。
とにかく歩いて、
まだまだ歩いて
一体いつになったら着くのだ、、、
するといきなり目の前に眩しい光の入り口のようなものが現れた。
まさか!?
入り口をくぐり抜けると、目の前には膨大な河が広がっていた。
言葉を失うとはこのことなのかもしれない。
たしか、たかのさんの本にも書いてあった。
河の向こうに太陽の頭が現れた。暗闇の中に光の筋が見え始め、その光を反射して水面がゆらゆらと金色に輝きだした。ゆっくりと、太陽の丸い形があらわになっていく。うわー、なんていうまぶしさなんだろう!神々しい光を放ちながら、世界に新しい朝をもたらしていく太陽の姿は圧巻だった。私はその神秘的な光景に胸を打たれ、すべてを忘れて見とれてしまった。
そう、まさにその言葉通りだった。
胸の奥深くがドーーーン!と響くような感じ。
遠くの方では、多くの人が沐浴をしていた。
体を洗ったり、歯を磨いたり、泳いだり、、、小さな子供からお年寄りまでガンジス河に浸り。熱心に拝んでいるのだ。
もはや生活の一部なのかもしれない。
それと同時に、火葬場まである。
煙が上がっているのはまさに、今亡くなった人を焼いているのだとか。
しかし、貧しい人は火葬することさえできない。そうなると、そのままここガンジス河に流すのだそうだ。
なんとも異常な光景だった。
その河が人々の生活する場となり、生と死が共存しているのだ。
人々にとって神は絶対的な存在であり、彼らは祈りを繰り返す。
あーーーなんて世界は広いのだろう。
どこからか鐘の音が聞こえてくる。祈りを捧げる声。鳥のさえずり。遊覧ボートに乗った人びとの歓声。そのすべてが柔らかいハーモニーを紡ぎ出していて、耳になんとも心地良い。いつも心の中にある、生き急いでいた気持ちが消え去り、自分が解放されていくような気がした。それは、今がいったい「いつ」なのか分からなくなるような、自分がまるで自然の一部にでもなったような、 不思議な感覚だった。
ここへ来てよかった。
世界の広さを全身で感じることができたのだ。
心が穏やかになっていくのがわかる。
ガンジス河を後にして、その後、美味しいカレーを食べ、寺院や大学なども見学した。
トゥクトゥクのおっちゃんは無口でも静かだったが、日差しが強い時には、日陰を作ってくれたり、私たちが少しでも快適に過ごせるように気遣ってくれているのが伝わった。
インドに来て初めてインド人の優しさに触れた気がした。
インド人だってみんながみんな同じじゃじゃない。
このおっちゃんも人の親であり、守るべきものがある。
おっちゃんが着ている服装からは決して裕福そうには見えなかった。この仕事でどれだけの売り上げがあり、どんな生活ができるのだろう。
私たちのような先進国の外国人を見てどう思うのだろう。
そんなことを考えさせられた。
あっという間だったが、バラナシの旅も終わりだ、今日はここに泊まらず、飛行機で再びデリーに戻るのだ。
おっちゃんは私たちを空港まで送っていってくれた。
が、なんと2人で3000ルピーで交渉していたはずが、私たちの全財産は小銭を全てかき集めても2800ルピーしかない。
さすがに優しいおっちゃんでもお金が足りないと知ったら怒るかもしれない。
私たちは必死になってどこかにお金がないかリュックを開け、探し始めた。
すると、おっちゃんは2800ルピーでよいと言ってくれた。
そもそもこの値段が妥当なのかどうかはわからないし、もしかしたらボられているのかもしれない。
でも、ここまで良い気持ちで安全に旅を楽しめたのはおっちゃんのおかげだ。
それにお金は変えられない。
おっちゃんの優しさに感動し、別れを告げた。
最高に気分が良かったが、
この後、飛行機に乗ってデリーに行くが現在私たちの全財産は0円
ATMが空港にあればいいが。
どちらにせよ、一銭もお金を使えない。
どうなることやら。
ここにいてもしょうがない。
なんとかなるといいな。
本当に後先考えてないや。
つづく