〜まぢなんなんっ!インドってさ!〜vol 8
列車乗車間際に、まさかの二人の日本人の女の子に声をかけられ、同い年そして席まで相向かい、という奇跡のような出会いをした私たちは、これまでさんざんなインドのイヤ〜な思い出を上書きしてきたが、ここで一瞬にしてキラキラしたものとなったのだ。
翌日、私たちが降りる駅とはいくつか前の駅で彼女たちは降りた。
この出会いを忘れない。
またいつか日本のどこかで会えたら良いねとそんなことを言ってお別れをした。
彼女たちが列車を降りるとすぐに、多くの乗客が乗り込んできた。私たちの席にはインド人のおばあちゃんが座り、私たちのことをニコニコしながら見ていた。
英語で話しかけてみたが、伝わっていないらしく、英語が分からないようだ。
だが、何度もおやつをくれたので、私たちも日本のお菓子をあげると、ニカ〜と何とも言えない可愛い笑顔で鞄の中に大事そうにしまっていた。
その後、たむと仲良さそうに何やら話している。
言語が通じ合えないのに、一体どうやってコミュニケーションをとっているのか、不思議に思い、2人の様子をじっと見ていると、たむがメモ帳に何かを書いている。
ん?
棒人間が4体。それを線でつないで、おばちゃんに説明しているようだ。
あああ!
そうか。たむは言葉ではなく、絵で自分の家族構成を伝えていたのだ!
なるほど。その発想は私にはなかった。
相手と話したい時、何も言葉にこだわることはないのだ。
すごく単純なことだけど、とても大切なことに気づかされた。
列車は到着時間の2時間遅れでバラナシに着いた。
駅を出ると、すぐさまトゥクトゥクの運転手が来た!今回はとにかくガンジス河に行けたらそれでよかった。
NAKAMURAのこともあったので、かなり気を張りながら運転手と交渉を進め、
いざ!ガンジス河へ!!
バラナシという町は、デリーとは全く違う。暑さが異常だ。45度だと運転手が言っていた。
45度って。お風呂より暑いじゃん。もはや外にいることすら命がけだ。
暑さと日差しで、景色が歪んで見えるほどだ。
そして町にいる人々は、デリーのようにジロジロ見たり、話しかけてくるようなこともなかった。
子供や大人がのんびりと穏やかに暮らしている、そんなイメージだった。
しばらくして、トゥクトゥクは止まり、ここからは歩いて向かうようだった。
口数の少なく、あまり表情を買えない運転手のおっちゃんが付いてこい、と言っている。
おっちゃんの後をついて歩く。
見渡す限り、河らしきものは見えない。
ガンジス河ってとても大きいはずなのに、どうして見えないのだろう。
とにかく歩いて、
まだまだ歩いて
一体いつになったら着くのだ、、、
するといきなり目の前に眩しい光の入り口のようなものが現れた。
まさか!?
入り口をくぐり抜けると、目の前には膨大な河が広がっていた。
言葉を失うとはこのことなのかもしれない。
たしか、たかのさんの本にも書いてあった。
河の向こうに太陽の頭が現れた。暗闇の中に光の筋が見え始め、その光を反射して水面がゆらゆらと金色に輝きだした。ゆっくりと、太陽の丸い形があらわになっていく。うわー、なんていうまぶしさなんだろう!神々しい光を放ちながら、世界に新しい朝をもたらしていく太陽の姿は圧巻だった。私はその神秘的な光景に胸を打たれ、すべてを忘れて見とれてしまった。
そう、まさにその言葉通りだった。
胸の奥深くがドーーーン!と響くような感じ。
遠くの方では、多くの人が沐浴をしていた。
体を洗ったり、歯を磨いたり、泳いだり、、、小さな子供からお年寄りまでガンジス河に浸り。熱心に拝んでいるのだ。
もはや生活の一部なのかもしれない。
それと同時に、火葬場まである。
煙が上がっているのはまさに、今亡くなった人を焼いているのだとか。
しかし、貧しい人は火葬することさえできない。そうなると、そのままここガンジス河に流すのだそうだ。
なんとも異常な光景だった。
その河が人々の生活する場となり、生と死が共存しているのだ。
人々にとって神は絶対的な存在であり、彼らは祈りを繰り返す。
あーーーなんて世界は広いのだろう。
どこからか鐘の音が聞こえてくる。祈りを捧げる声。鳥のさえずり。遊覧ボートに乗った人びとの歓声。そのすべてが柔らかいハーモニーを紡ぎ出していて、耳になんとも心地良い。いつも心の中にある、生き急いでいた気持ちが消え去り、自分が解放されていくような気がした。それは、今がいったい「いつ」なのか分からなくなるような、自分がまるで自然の一部にでもなったような、 不思議な感覚だった。
ここへ来てよかった。
世界の広さを全身で感じることができたのだ。
心が穏やかになっていくのがわかる。
ガンジス河を後にして、その後、美味しいカレーを食べ、寺院や大学なども見学した。
トゥクトゥクのおっちゃんは無口でも静かだったが、日差しが強い時には、日陰を作ってくれたり、私たちが少しでも快適に過ごせるように気遣ってくれているのが伝わった。
インドに来て初めてインド人の優しさに触れた気がした。
インド人だってみんながみんな同じじゃじゃない。
このおっちゃんも人の親であり、守るべきものがある。
おっちゃんが着ている服装からは決して裕福そうには見えなかった。この仕事でどれだけの売り上げがあり、どんな生活ができるのだろう。
私たちのような先進国の外国人を見てどう思うのだろう。
そんなことを考えさせられた。
あっという間だったが、バラナシの旅も終わりだ、今日はここに泊まらず、飛行機で再びデリーに戻るのだ。
おっちゃんは私たちを空港まで送っていってくれた。
が、なんと2人で3000ルピーで交渉していたはずが、私たちの全財産は小銭を全てかき集めても2800ルピーしかない。
さすがに優しいおっちゃんでもお金が足りないと知ったら怒るかもしれない。
私たちは必死になってどこかにお金がないかリュックを開け、探し始めた。
すると、おっちゃんは2800ルピーでよいと言ってくれた。
そもそもこの値段が妥当なのかどうかはわからないし、もしかしたらボられているのかもしれない。
でも、ここまで良い気持ちで安全に旅を楽しめたのはおっちゃんのおかげだ。
それにお金は変えられない。
おっちゃんの優しさに感動し、別れを告げた。
最高に気分が良かったが、
この後、飛行機に乗ってデリーに行くが現在私たちの全財産は0円
ATMが空港にあればいいが。
どちらにせよ、一銭もお金を使えない。
どうなることやら。
ここにいてもしょうがない。
なんとかなるといいな。
本当に後先考えてないや。
つづく
〜まぢなんなんっ!インドってさ!〜vol 7
結局、最後のNAKAMURAとの別れの時まで彼に対する、怒りと不信感とインドそのものに対するショックみたいな気持ちが残っていた。
まあ、とりあえず怪我してないし、お金や貴重品も盗まれていない。それだけでも、幸運だと思わなくちゃ。そう必死に自分に言い聞かせていた。
もうすっかり日が沈み、夕方になっていた。今日はこれから、夜行列車に乗ってバラナシに行くことになっていた。出発は21時ごろの予定なのでそれまでにレストランで夕飯を済ませ、アグラフォート駅まで向った。それにしても、辺りは街灯がほとんどなく何も見えない。真っ暗闇だとインド人の目がやたらとギラついているようで、怖い。。
駅に着くと、そこはかなり混雑していて、座る場所はもちろんない、みんな床に寝転がったり、座ったりして歩くのもやっとだ。
仕方なくホームへ行くことにした。インドの列車といったら時間通りに出発しないことで有名だ。聞いた情報では、1〜2時間の遅れは当たり前とか。
もし、遅れて明日出発になってしまうと、帰りの飛行機にも影響するので、諦めなければいけない。
そうなったら今日泊まる宿を探さなきゃいけない。真夜中にそれをするのは、あまりにも危険すぎる。あーどうなっちゃうんだろう。
先が見通せないことの不安や人を信じられないから、どうにかなるでやりきれない焦りと不安。
まあ、とにかく今は列車を待とう。
先のことを考えれば不安が尽きなかった。列車に乗ってもわたしとタムの席は近いのか、たかのさんの乗った列車のように自分の席に誰かが座っている可能性だってあるし、、、
それにしても、今日は本当に疲れた。真っ暗なホームにたむと腰を下ろし休んでいると、ホームの端から何かがやってくる。
暗くてよく見えない。
そういえば、駅の中は人が多かったのに、ホームに出た途端、人がほとんどいないな。
すると突然暗闇の中から姿が現れたのは、野犬だ。
しかも数匹ではない、パッと見ただけで10匹以上はいる。私たちは驚きのあまり「キャー!」と叫んだ。
その声に野犬たちも吠え、こちらに近寄ってくる。私たちはホームを必死に走る。
だが走れば余計野犬もヒートアップして、今にも噛み付くのではないかという勢いだ。
どうして私たちだけ狙うんだよ。他にも狙う奴らはいるだろう。。
そう思っていながら、ふと、たむを見る。
今にも泣きそうな顔で物陰に隠れていた。
そうだ。たむは犬嫌いだった。こんな真っ暗闇で突如、多くの野犬に囲まれ、追いかけられるとは。たむにとっては恐怖しかないだろう。
私たちは距離をとって野犬に見つからないように隠れていた。
小さな声で「たむ、大丈夫?」と声をかけると、
「話しかけないで!!!ばれたらどうするん?!もうやだ。帰りたい。。。」とかなり余裕がない様子だ。
完全に恐怖と怒りでヒートアップしてる。
しばらくして、野犬は私たちを探すのに諦め。再びホームの端に戻ろうとしていた。
すると、突然どこからともなく、インド人のおじいさんが犬に向かって棒で怒鳴りながら、叩き始めた。犬は再び興奮し、こちらに戻ってきた。
私たちはまたしても、逃げる羽目になった。
たむは恐怖のあまり「あのじいさんが余計なことするからまた野犬がこっちにきたんじゃん!あのじじい、頭おかしい。てか、列車来ないし、もうこんなとこいたくないよ!!」
かなり、攻撃的に私に言ってきた。
私もあまりの不安に耐えきれなくなり「私だってわかんないよ!列車がいつ来んのか。それに今から列車諦めたって他に宿なんてないよ!!」
はい。始まりました。恒例の喧嘩。もう慣れたものだ。でもインドに来てまで喧嘩するとは。
しばらく、お互い離れて無言でいたが、たむがトイレに行きたいと言うので野犬に警戒しながらトイレを探すことに。
この強烈な異臭からすぐにトイレは見つかった。薄っぺらい板のようなドアのついている個室のようなものが3〜4つある。
一つ目のドアを開ける。
すると中で女の子が用を足していた。彼女は私を見上げている。
私はそっと何も見なかったかのようにドアを閉めた。
てか、インドのトイレって日本の和式のトイレと違ってドアの方を向いてするんだ。。
続いて隣のトイレのドアを開けてみる。
すると、今度はおばさんが用を足していた。彼女は私を見上げている。
再び、何も見なかったかのような素振りでドアを閉めた。
そのシュールは光景をたむは見ていた。さっきまで険悪なムードだったが、ここであれを言わないと後悔すると思い、
「なんなん」と一言。ハモッた。
トイレを済まし、時間を確認するとすでに出発予定の時間になっていた。
しかし、列車が来る気配はない。
疲労はかなりピークに達していたし、何より早く列車に乗って安心したかった。
30分経った。すると、周りにいた人たちが騒ぎだした。もしや、列車が来るかも。
ただここでまたもや問題発生。
私たちはいったいどこの車両に乗れば良いんだ?
チケットには番号が書いてあるものの、ホームにはどこに何号車が停車するとか言う案内はどこにもない。
ホームは果てしなく長い。列車が見えてきた。見る限りすごく長い。
私たちは慌てて近くにいる駅員らしき人に聞いてみると、今いる位置よりずっと向こうを指差している。
再び走り出す私たち。混み合う人たちの間をかき分けてとにかく、言われたところに向かって走り出す。
列車は止まり、人が一斉に乗り込む。
やばい、間に合わなかったらもう後はない。
出発ぎりぎりで言われた号車に着いた。というのもさっきまでインド人しかいなかったはずなのに、いきなり欧米人らしき集団がたくさんいたのだ。ここは外国人専用に違いない。
なんで気づかなかったんだろう。ここにいれば、あんな怖い思いしなかったのかも。。。
なにはともあれ、列車に乗ることができた。
その時、後ろから
「あの!!日本人ですよね?」
え?何だろう?この久しぶりに聞く言語は?
一瞬思考が停止する。
明らかにたむの声ではない。
私たちは声のする方へ振り向くとそこには、
インドの衣装サリーを着て、大きなバックパックを持った二人の女の子が手を振っている。
これは幻?
こんな真っ暗闇でさっきまで野犬に追いかけられ、見たくもないトイレシーンを目の当たりにし、インド人のギラついた目でガン見され続け、自分が旅行者、いや年頃の女子だということすらわからなくなっている今。目の前に華やかで煌びやかな衣装をまとった美女二人が私たちに日本語を話しかけている。
これはもう末期症状なのか。。。。
しばらく沈黙でいると、
「あ!やっぱり日本人だ!こんなところで会えるなんて。奇遇ですね。」
いやこれは夢じゃない。
私は、いきなり目の前に現れた初対面の日本人に泣き付きたくなった。
この人がどんな人であろうと日本人であることには間違いない。
これまで、空港から出て以来、日本人に会うことはなかった。
どうしてだろう。日本人と言うだけで仲間意識というか安心感がすごい。
そしてこれは、またしても夢のような話だけれど、
彼女たちは私たちと同い年。
そして席は隣だった。
こんなことってある???
つづく
〜まぢなんなん!インドってさ!〜vol 6
タージマハル を見学し終わり、トゥクトゥクに戻る頃には、お腹がペコペコだった。
NAKAMURAがおすすめのレストランがあると言うので、案内してもらうことにした。
レストランらしき所に到着した。
が、見る限りかなりアットホームな感じだし、客も誰もいない。あ、でも一応トリップアドバイザーのマークがあるから、大丈夫か。。。
店員らしき若い兄ちゃんが一人いるだけでなんとも不思議な店だ。
まあ、とにかくお腹が空いた。
たむと相向かいで席に座ると、なんとNAKAMURAもごく当たり前のようにタムの隣に座った。
え?まさか食事も一緒にするつもり?!?!
さすがの私たちもせめて食事くらいは、二人でゆっくりしたかった。NAKAMURAがいたんじゃ話したいことも話せないじゃないか。しかも、なぜ同じ席に座ったんだ。。。
内心呆れていた。もうインド人って空気読めないの?いや、今知った事ではないか。。。
NAKAMURAは何を食べたい?と聞いてきたが、
そんなことよりも私たちの第一声は『とりあえず、生!!!』
この暑い日にキンキンに冷えたビールが飲みたくてウズウズしていた。
前にも触れたがインドでは、お酒はあまり飲まない文化がある。しかし、稀に外国人向けに飲食店ではビールを提供することがあるのだ。
私たちのビール!の要求にNAKAMURAはギョッと驚いた表情。
この若い女子は昼からビールを飲むのか?!?!
きっとインドの日常では考えられないことなのだろう。
でも、そんなこと私たちには知ったこっちゃない。とにかくビールだビール!!
すると、店員は冷えたキングフィッシャーというインドのビールを持ってきた。
「かんぱーい!」と言い、ぐびっと飲む!!
すぐに一本が空。そしておかわり。
そんな私たちの様子をこれまた唖然と見つめるNAKAMURA。
一応、隣に座っていたので飲む?と勧めてみた。まあ、インド人は飲まないだろうが。。
と思っていたら、強がっているのか、こんなことで動揺してないぜと言わんばかりにNAKAMURAもグラスに口をつけ、ビールを少し飲んでいる。
その後も、私たちはバターチキンカレー、マトンカレーチーズナン、さらにはフライドライスを注文。
あまりにもたくさん頼むので、これまたNAKAMURAも心底驚いている。
料理を待っている間、NAKAMURAは私たちに自分のFacebookに投稿してある写真を自慢げに見せてきた。
そこには、数十枚もの自分のマッスルポーズ写真。全部同じ写真にしか見えなかったが、一枚ずつ、ニヤニヤしながら見せてくる。
私たちはビールを飲んでかなりハイになっていたので、リアクションだけは大きく、「ハンサム!」「ナイス!!」を繰り返し、連発し彼を盛り上げていた。
その後も「これは奥さんだ」とまるでモデルのような美女の写真を見せてきた。(ツーショットで写ってる写真はなかったので本当かはわからないが。)
とにかく、この写真お披露目会はかなり長い時間続いた。
あー。インド人って何でこんなに自撮りしてみんなに見せたがるんだろう。これ誰得なんだろう??
と、私もたむも写真よりも早くカレーが食べたいなと思いながら、NAKAMURAの相手をするのに心底うんざりしていた。
しばらくするとようやくカレーが出来上がったようだ。
日本で食べるインドカレーとは全く違う。いろんなスパイスの香りとほどよい辛さ。絶妙すぎてどれも絶品だった。
私たちが食べているのを横目で見ながら携帯に夢中なNAKAMURAに「食べないのか?」と聞いてみたが「俺は食べない」の一言。
これじゃあ、余計食べにくい。
てか、この人さっきから飲み物すら頼まないで私たちの席に座ってるだけじゃん。
私たちだって二人だけで今後の予定とかおしゃべりしたいのに、こいつがいるから気になって全然話せないし!!
なんなんだよ。まったく。
お腹がパンパンになるほど食べた。大満足だ。
私たちは、ビールの酔いと満腹感から急に眠気が襲ってきた。
NAKAMURAも自分の写真を見せ終わり、ようやく落ち着いたようだ。
だが、なんかさっきからNAKAMURAの様子がおかしい。
なんとなくだけど、あれ?たむに近づいている?明らかに体の向きや距離感がたむに寄っているのだ。
すると、NAKAMURAが口を開いた。
「二人とも眠そうだね。すぐそこに広い芝生があるから、そこで昼寝をするといいよ。でも、
俺はもっと君たちのことを知りたいから今度は一人ずつ話そう。一人と話している間、もう一人は寝ていたらいいよ。」
おしゃべりって。え?もうさんざん話したじゃん。それになんで一人ずつなの?意味がわからない。
私たちは顔を見合わせ、なんとなくこれあんまりよくない感じだね。と通じ合った。
たむが、なんとか話を変えようとするが、NAKAMURAも頑固だ。
マッサージが得意だからやってあげるとか、二人だけで話したいとか、かなりしつこい。
しかし、もしここで、こいつから逃げても、現在地もわからない上、道に迷うのはかなり危険な気がした。ここは穏便に、ある程度こいつに付き合って、タイミングを見て店を出ようと二人で決めた。
最初にタムがNAKAMURAと二人で話すことに。私は庭らしき芝生に移動し、布らしきものが敷いてあったのでその上に腰を下ろし寝転がった。
一見、平和に見える光景。そう、ここが日本であれば。しかし、まさにこれからやばいことが起きてしまうのではないかと不安になる。
いくらインド人だと言っても、向こうは筋肉マッチョの男だ。力づくで押し倒されでもしたら、とてもじゃないけど敵わない。それに助けを呼べるような人もいない。ここのレストランの若い兄ちゃんも状況を察したようで、店の奥へと行ってしまったし、グルの可能性だってある。
このレストランに客一人いない理由が分かった気がした。
きっとタムのことだ。もしやばいと思ったら大声を出すだろう。それまで私は逃げる術を考えなければ。私が寝転がっている位置からは、タムの様子は見えない。だから余計に気になる。
すると、いきなりどこからともなく、私のもとに野犬だろうか大きな犬が近づいてきた。
ヒエッ!!何この犬!?
インドの野犬には近づいたらいけない。狂犬病の可能性が高い。噛みつかれでもしたら、命を落としかねない。
NAKAMURAのことを考えるよりもこの犬から逃げることを考える方が今は大事かもしれない。必死に逃げるが、逆効果だ。ずっと付いてくる。
とりあえず、たむも気になるし、この犬も追い払ってもらわなきゃだし、と思い中の様子を見に行くことにした。
おそるおそる中を覗いてみると、誰もいない。が、奥の部屋らしきところから声が聞こえてくる。私は声のする方へ行ってみると、なんとそこには、大きなベッドが一つ。その上にタムが座り、横にはNAKAMURAが立っているではないか?!?!
私は思わず「たむ!大丈夫?!」
と声を張り上げた。タムとNAKAMURAは私の方を見るなり、驚いた様子だ。
タムが「こいつヤバすぎるよ。頭おかしい。」
するとNAKAMURAが「今からマッサージをするところだよ」と言い訳のように言っている。このままでは、タムが危ないが、私がここにいる以上はNAKAMURAは何もしないはずだ。
NAKAMURAが「まだ時間がかかるから眠っててくれ。終わったら呼ぶから」と言うので、私もここで引き下がるわけにはいかなく、「トイレはどこ?あそこは犬がいて眠れない」となんとか時間稼ぎをした。
私がトイレから出るタイミングでたむが、かなり苛立ってNAKAMURAに何かを言っていた。すかさず、NAKAMURAは私を見て「よし交代だ、今度はお前と話したい」と一言。
まぢか。たむがすかさず、「こいつマッサージするとかいって、胸を触ろうとしたからキレてやったよ。気をつけた方がいいよ。」
と言い、外の芝生の方に行ってしまった。残された私。たむより英語が話せないが。あんな風に言い返せるだろうか。不安になってきた。
たむが、芝生に行くのを確認するとNAKAMURAは私の方へ近寄り、いろいろと質問をしてきた。
「彼氏はいないのか?」、「君は本当にかわいい」、「僕の彼女にならない?(あんた奥さんいるんじゃないのかよ!)」
とにかく、この類の気持ち悪い質問ばかりしてくる。
だんだん面倒くさくなってきて、返事するのも適当になってきた。
すると、今度はマッサージをしてあげると例のベッドの上に座らせられた。
肩のマッサージの割には、ぜんぜん気持ち良くないし、なんだか触り方が気持ち悪い。しだいに、肩以外の場所を触るもんだから、こいつは完全に確信犯だ。と思い、
「フィニッッッッッッッッシューーーーーー!!!」と叫んでやった。
タムが声を聞いてやってきた。
するとNAKAMURAも「おっけぃ」と言い、気まずそうな顔をしている。
はあ。内心すごく怖かった。もし一人だったら。と考えると、私はこんな風に強気ではいられなかっただろう。
少しでも、こいつは良いやつかもしれないと期待した自分がバカだった。
カーンにしておけば、こんな目にも合わなかったかもしれない。
インドの怖さを知った。
この後も、NAKAMURAのトゥクトゥクでアグラ 城に行き、サリー屋、チャイ屋、土産屋などを回った。
しかし、脳裏に焼きつく、NAKAMURAに対する怒りと不信感と裏切られた感などが混じり合い。なんだか複雑だった。
インド、やっぱりとんでもない国かも。
人を信じても、簡単に裏切られる。
この国では誰を信用したら良いんだろう。
しばらくNAKAMURAのことは考えたくない。
内心かなりダメージを受けていた。
これからどうなってしまうんだろう。なめてたインド。
〜まぢなんなん!インドってさ!〜vol 5
NAKAMURAが運転するトゥクトゥクに乗り込むと、すぐに彼は私たちに英語でいろいろ話しかけてきた。私はほとんど理解できずいたが、たむは理解できるのでいろいろと話が盛り上がり楽しく過ごしていた。
少しすると「ここがタージマハルだ。俺はここで待ってるから行ってこい」と言われ、いざ今回の旅の目的でもあったタージマハル へ。
チケットを買い、ゲートを通ると目の前にはあのテレビや写真でよく見るタージマハルが目の前にドーーーーーーーンと現れた。
圧巻。
リアルで見るタージマハルは、美しく、品があり何というか心にずっしりとくるものがあった。
テレビや写真で見るのとは比べ物にならない感動。しばらく見惚れていた。横から見ても後ろから見てもきれいなフォームをしていた。
これだけ美しいんだもの、それだけ観光客も多い。外国人はもちろんインド人もかなり多い様子。
にしても、私たちと通り過ぎるインド人は100%の確率で私たちをガン見する。
なんなんだ。人に見られることに慣れていないだけあって、見られれば見られるほどいい気持ちはしない。せっかく良いものを見て、気分がいいのにこのインド人のガン見攻撃により、だんだんイライラしてきた。
何か言いたいことがあるなら言ってよ!なんでそんなに見るんだ。なにがおかしんだ!!
そんな思いを沸沸と感じながらいた。
すると今度はインド人の家族らしき人たちが私たちをじっと見ている。
今まで見られても目を合わさずいたが、思い切って目を見てちょっと微笑んでみた。
すると、その家族の一人、お母さんらしき人が私たちに近づいてきて恥ずかしそうにはにかみながら 「picture」と一言。
え?
なんだ。写真を一緒に撮りたいってことか。そんなに日本人が珍しいのかな。
私はオッケーと言い、タージマハルの前で家族と横並びになろうとした。
しかし、家族の子供たちは恥ずかしそうに下を向いている。急に身なりを整え、まるで芸能人と写真撮影をするかのようだ。
しかも、子供と写真を撮るのかと思いきや、家族全員写真に写る気らしく、肝心のカメラもカメラマンもいない。
どうやら、私の持っているカメラで撮ってほしいようだ。
近くにいたインド人にカメラ撮影をお願いする。撮影が終わると、家族は満足したようにバイバイと言って去っていった。撮った写真は欲しくないようだ。
その後もこの光景を見ていたインド人が次々と一緒に写真を撮ってくれ(私のカメラで)と言われ、まるで有名人になった気分だった。
そして肝心の写真はいらないらしい。
どうやら、良いカメラで写真を撮ってもらうことが好きなようだ。
きっとこれまで見ていたのって、私のカメラを見ていて撮って欲しかったからなのかも。
そう思えたら、インド人が無性にピュアでキュートに思えてきた。
見られるって、日本ではマイナーだったり、失礼だったりするけど、インドではそんなことはないんだな。と思った。
どうして?と思ったことは、直接相手に聞いてみたら良い。
勝手にこうだろう?と思い込んで、嫌な気持ちになるくらいなら。
インド人は写真好き。撮られることに抵抗はないんだ。とわかってきた。
ふとタージマハルの端っこの方で休憩していると、地元の子らしき三人組が川遊びをしていた。彼らは私たちに気がつくと「ハロー」と言って手を振っている。
私は思わずカメラでパシャリ!すると彼らは待っていましたとばかりにいろいろなポーズをしてきた。
やっぱりインド人は写真が好きなんだな。と思い私も、何枚も何枚も写真を撮ってあげた。
これだけ撮れば満足だろう。と思い「フィニッシュー!バイバイ」
というと、さっきまで笑っていた子ども達は急に真顔になり「4ルピー」と言ってきた。
いやいやいや、私は撮ってあげたのにどうしてお金払わなきゃいけないんだよ。と思い「ノー」と言うと、なんと子ども達はすごい剣幕で「4ルピー」と連発してくる。そして目の前の塀を登って私たちの方へ来ようとしているではないか。なんなんだよ、この子達は。
私たちは意地でもお金をあげてやるものかと思い、その場からダッシュで逃げ去った。
誰もが写真を撮られたいわけではないのかも。
これもお金を取る手段だと考え、この場をチャンスだと思いお金を欲しがる子どもたち。
この国では何でも金。
子どもの時から、お金は彼らにとって常に絶対的なものなのかも。
そんな環境で育った子供はどんな大人になっていくのだろう。
またまた日本との違いに考えさせられる出来事だった。
〜まぢなんなん!インドってさ!〜vol 4
インド2日目。
早朝5時起床。今日はインドの象徴、タージマハルに行く!
タージマハルはアグラという場所にあるので、そこまで電車で向かうのだ。
ホテルから一歩外に出ると、ものすごい暑さだ。そして朝早いというのに街中かなり賑わっていた。
というのも、当たり前のように道路には牛や鶏や犬が歩いているのだ。そしてあいかわらず臭い。獣や汚物、汗など色々なものが混ざっている。至るところに物乞いや体の一部が欠如した人、痩せ細って座り込んでしまった老人。本当に見るもの見るもの驚きの光景であった。
誰かと目を合わせてしまうと、すかさず相手は何か貰えると思って私たちに付いてくる。母親らしき人が赤ん坊を抱いて私に手招きしている。何かを訴えているようだ。そしてその後、その赤ん坊を私に見せ「見て。うちの子。食べるものがなくて栄養失調になってしまう。お金をちょうだいよ。」まるでそんなことを言っているようだった。
心が痛かった。どこを見ても、同じような光景だ。
でも彼らを助けようとする者はいない。インド人でさえも、当たり前の日常だからか。みんな普通の顔して素通りしている。
あまりにも異様な光景。私が持っているこの小銭でさえも、何人の人を救えるのだろう。
でも、今ここで一人にお恵みをしてしまったら、私一人では対処しきれない程の多くの人がお恵みを求め、期待し、私のお金が尽きれば期待した分だけ悲しみ、落胆するのだろう。
あ、そういえばたかのさんの本にも同じようなことが書かれていたな。
「インドの乞食は不可触民といって、カーストの中にも入っていないんだよ。法律上はもうカーストはないってことになっているんだけどね。1億人近くいるらしいよ。」
彼女たちの血色の悪さや、棒切れのように細い体が、頭にこびりついて離れない。彼女たちにあげる金はないのに、自分がステーキを食べる金はあるという事実が重くのしかかってくる。もしかしたらあの親子は飢え死に寸前だったのかもしれない、などと考え始めると、クーラーの効いたレストランで豪華なディナーにありついている自分が、とてつもなく冷酷な人間に思えて仕方がなかった。
物乞いされると、その人が本当に困っているのかどうか、いちいち判断する必要がある。インド中の乞食に恵むお金なんて私にはない。じゃあ恵まないと決めてしまえば楽になるかというと、そう簡単なものでもなかった。なんといっても、相手は自分と同じ生身の人間なのだ。「お恵みを・・・」と言いながらよたよたとすがりついてくる人に向かって、「ノー、ノー!」と延々に言い続けるほど、気が滅入る行為はない。恵むにしろ、恵まないにしろ、後味が悪いことに変わりないのだ。インドの旅は、もしかしたら苦行なのかもしれないとさえ思えてきた。
急に自分が旅行者という立場でいること。日本での生活がどれだけ豊かで贅沢であるか身を持って感じた。世界には、何不自由なく暮らし、死とは無縁の生活をしている人たち、でもその裏には今まさに私の目の前にいるように今日どう生きのびるか、という現実に向き合って生きている人もたくさんいるのだ。なんて不公平なのだろう。
そしてそれを知った私は、彼らを助けることも、この社会を変えることもできない。それは、日本人という人種に生まれた運命。これを運がいいという簡単な言葉で自分自身を納得させることはできなかった。
一度考えだすと、もう頭から離れなくなってしまった。旅行に来たはずが。楽しみにきたはずが。
なんだか、暗い気持ちになってしまった。
でも、そもそも私はインドに来なかったらこんなことを知る事もなかっただろうし、考えもしなかった。
何か嫌な事、自分に不都合なことがあれば、いつも他人のせいにし、なんて自分は不幸なんだ。世界でこんな不幸な奴はいないだろう。と情けない自分丸出しの愚痴をこぼしていただろう。
でも、これからの私は違う。そんなこと絶対口にしないだろう。
そして、今まで自分が悩み、苦しんできたことなんて世界からしたら本当にちっぽけなことだと思った。
いいじゃないか。私はここインドに来て、もうすでに大きなものを獲得したのだ。
それは、『知る』ということ。この今まさに自分が生きている地球上で起きていることを自分の目で見て、触れて、、、五感で感じ取った。知る前の自分と知った後の自分は全然違う。
私が旅をする理由って『知る』ことなのかもしれないな。
ニューデリー駅に着くとアグラ行きの電車がすでに停まっていた。チケットに書かれた番号の座席に座ると予定時刻通りに出発した。
事前情報では、出発時刻は数時間遅れる事もよくある。と聞いていたが、こんなこともあるんだな。とちょっと感動。外国人観光客用とあって、車内は割ときれいだ。
すこし走ると、何やら車内食らしきものが配られた。
こ、これは!!
あのyoutubeチャンネル IKKO'S FILMでイッコーさんたちも食べていたのと同じじゃん!!
この動画については、たむにもインドに行く前の予習ということで見ておくように言っていた。だから二人して、顔を見合わせ『でたよ。なんなん」
あいかわらず、息ピッッたりだ。
カレー風味のコロッケ(どうやらこの国の食べ物は何でもカレー味らしい)
ぺちゃんこの食パンに激甘のジャム
ケチャップがあるものの切り口がないので歯で開けるしかない。
そして食器は汚れている。
最後に激甘のチャイが出てきた。
私たちもイッコーさんと同じような食べ方をしていた。
食は味わうものではなく、むしろこなす作業だ。
食事を食べながらふと窓の外の景色を見る。
見渡す限りごみの山だ。
花や木などもない。ただ線路内には多くの人が歩いていたり、ゴミ拾いをしている。
小さな子からお年寄りまで。ボロボロの服に痩せ細った体。
だが、しばらく人を見ていると多くの人が線路の上でしゃがみこんでいるのだ。
みな、こちらに顔を向けてしゃがみこんでいる。不思議だ。
すると、
たまたま私たちに背を向けてしゃがみ込んでいるおばあさんがいた。
な、なんとおばあさんは来ていたサリーをめくり上げお尻を丸出しでしゃがみ、そのまま野糞をしていたのだ。
あ、あ、あ、あ、
ってことは、これまでしゃがんでいる人たちを沢山見てきたけどそれってつまり、、、、ってことだよね?
私たちは食事しながら何とまあシュールなものを見せられていたんだ。
すごすぎる。強烈な思い出の1ページとして登録されました。
まったく、なんなんだ!インド!!!
たむも「なんなん」とは言っていたが、それよりも食べたら睡魔が襲ってきたらしく、すぐに眠ってしまった。
約2時間でアグラに着いた。
電車を降りると、駅のホームには大勢の人がいた。
家族だろうか。物凄い量の荷物を抱え、一家揃ってホームの真ん中に座り込んでいる人たちがあちこちにいる。
隙間のないくらい人がぎゅうぎゅうになり、どこに進んでいいかわからなくなる。とりあえず、改札らしきものを探し、人の流れのまま進んでみる。
さすが、人工が多い国インド。どこにいても人人人。
ようやくゲートが見えてきた。するとゲートの前にはまたしてもものすごい客引きらしきインド人?いや、あれはタクシーやリキシャの運転手だ。
出た!これぞまさによくテレビで見るやつ。本当は昨日空港でこうなることを予想していたが、誰もいなかったもんだからてっきり、時代の流れとともに消滅したのかと思い込んでいた。
でも、そんなことはなかった。これが現実。
とりあえず、ここにいても仕方がない、どちらにせよ、タージマハルに行くには誰かしら捕まえないと移動できない。
この大勢の中のインド人から人の良さそうな人を見つけたい。
でも一斉に言葉のシャワーを浴び、もはや身動きすらできない。誰かと目を合わせればそれは、イコール同意(あなたの任せる)の意味になってしまう。
たむと相談している暇もなかった。
すると、一人の男がタージマハルまで100ルピー(150円)で行ってやると言ってきた。
かなりガタイが良く、イカツイ。
こいつ大丈夫か?まだ何も答えていないのにそいつは俺のリキシャはむこうに停めてあるから付いてこいと言っている。
その瞬間、周りにいた他のインド人が一気に散らばった。
私たちがこいつに決めたとわかれば諦めは早いらしい。
そういえば、IKKO'SFILMの動画でも、まさにここで全くシチュエーションがあったな。
この時は、確かよぼよぼのおじいちゃんドライバーと色んなとこ巡ってたイッコーさん達。
最初はそのじいちゃんのこと疑ってたし、心配してたけどだんだんじいちゃんの人の良さとか愛嬌とか伝わってきて、いい思い出になったんだっけ。
私もあのじいちゃんみたいな人がよかったな〜〜
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?
エ、、、、、エリアスカーーーーーーーーーン!!!!!!
思わず大声で叫んでしまった!
そう、このエリアスカーンこそ、そのじいちゃんドライバーなのだ!!
カーーーーーンだよ!カーーーーーーン!!!!
カーンは建物の影で佇んでいた。
私が思わず叫んだ事で周りにいた人が一斉に私に注目した。
そしてカーンが私に手を振っている。
嘘でしょ!?本当にいたよ、カーン!!
私は、イッコーさんとも知り合いじゃないし、ただ彼の旅動画をたまたま見た視聴者の一人でしかない。
でも、あの動画を見て、カーンを知ってしまった以上、もうカーンは私にとって他人でも初対面でもない気がしていた。
こんな出会い、もう二度とないかもしれない。
カーンの運転する車に乗りたい!!カーンと話したい!!カーンに案内してほしい!!
そんな欲がこみ上げてきた!
カーンは私たちのことは知らないはずなのだが、なぜか私たちに手を振りながら「マイフレンド」と叫んでいる。
そして私たちの方へやってきて「俺の車のるか?」と言ってきた。
私はすぐに「乗る!!!」と言おうとした。
するとすかさず、さきほどリキシャに乗ると決めたあのガタイのいい男がすごい剣幕でカーンに何かを言っている。
私たちにも、怒鳴るように何かを言っているのだ。
おそらく、俺が先にこの客を手にしたんだ。横取りするな。的なことを言っている。
カーンも言い返しはしたものの、ちょっと怖気付いている様子だ。
私たちのせいで、あとでカーンがこの集団からハブられたり、意地悪されたらどうしよう。
インドでは年上優先とか経験優先とかいうのルールはないのかもしれない。早い者勝ち。強いものが勝ち。弱いものが引き下がる。
だったら、これ以上カーンを求めるのはやめよう。二人の口論はヒートアップし、イカツイ男がいつカーンに殴りかかってもおかしくない状況だった。
もう、見てられない。最初に決めたこのイカツイ男に任せよう。
もしかしたら、こいついいやつかもしれないし。ただ知らないだけ。
私たちは私たちでこの旅を作りあげればいいのだから。
私は「ストーーーーップ!I decided you」
とイカツイ男に言い、カーンも納得したようだった。
私は最後にカーンに「You are famouse in japan」と伝えた。カーンは歯がない口を開け、とびきりの笑顔で「Of couse!!!」と返してくれた。
今回は残念だったけど、もしまたここへ来ることがあったら、次こそは必ずカーンを専属ドライバーにしたいな。
そして
男は日本語を話せないくせに「My name is NAKAMURA」と言った。
中村って。笑
もうすでに怪しくていや〜な予感がしていた。
そうこいつは、本当にとんでもない奴だったのだ。
次へ続く
〜まぢなんなん!インドってさ!〜vol 3
出発前夜からたむが私の住むアパートにお泊まりして、翌朝一緒に成田に向かった。
お互い荷物はリュック1つ。かなり身軽だ。
今回乗るのは、エアインディア。
以前のタイの経験から今回は飛行機搭乗までスムーズにできた。経験がしっかり身についてきたのが嬉しい。
そして何よりも一人の旅でないことがものすごく嬉しく、私のわくわくはどんどん高まっていく。
エアインディアの機内に入った途端、もうそこはインドだった。なんと匂いがカレーなのだ。このなんともいえない色々なスパイスが混ざったような匂い。インドカレー屋の匂いだ。そしてCAはインド人。
あまりの環境の変化に私とたむは顔を見合わせて笑い、「なんなん」の一言。
ここから8時間のフライトだ。何本か日本語字幕の映画もあるし、機内食もまあまあ食べれる。割と快適に過ごせた。
いよいよ到着まで数時間。
インドに近づくにつれ、急に不安が押し寄せてきた。
あれ?そういえば列車のチケット印刷し忘れた。もし困った時にラジェンダと連絡するにはどうしたらいいんだろう?インドからの電話のかけ方わかんないや。
そんな小さな心配が募ってどんどん不安と恐怖が大きくなってきたのだ。
インド怖いな。大丈夫かな。
そんな不安をどうにかして和らげたく、隣にいるたむを見る。
いびきをかいてスヤスヤ寝てるし。
こ、こいつ。なんて図太いんだ。私が心配性なの知ってるくせに、そういえば、こいつ機内食食べてる時以外ずっと寝てる。
なんなん。まぢで。
そんなたむを見てたら、なんとかなるか、とさえ思えてきた。たむといるとどんなピンチでもなんとかなる。という根拠のない確信みたいのがある。
高校時代の部活だって、地獄の猛練習や合宿、練習試合だって辛すぎてこれ以上やったらもう死ぬ〜と思っていたけど、たむがいるだけでその気持ちもなんとかなると思える。そう思わせてくれる存在だ。
インド時間17時。インド到着。
機内から出ると、ものすごい熱気が押し寄せてきた。
そして空気を吸い込んだ途端、私たちは思わず一斉に発した言葉。
「くっっっっっっっさ!!!!!」
そう、それがインドに着いて最初に発した言葉。
その臭さを例えるならば、汗の臭いだ。もっとわかりやすく言うとワキガの臭いだ。
ここまで強烈すぎるのは、インド人全員から発せられているのではないか?
私たちは再び顔を見合わせ「なんなん!!」の一言。
これからずっとこの臭いの中生活するのか、と思うとちょっと嫌になった。
といってもここはまだ空港内。これから私たちを待ち受けるのは、何度も予習してきた私にはわかる。
外に出た瞬間、無数のインド人に囲まれ、「俺の車に乗れ」攻撃があるのだ。中には無理やり連れて行かれたり、いつの間にか貴重品を盗られることだってある。
しっかりと身構えて行く必要がある。
たむにも、よく伝えていたからお互い気持ちの準備は出来ていた。
まず、外に出たらラジェンダが言っていた通り、私の名前カードを持ったインド人を探すこと。
あとはその人に付いていけばいい。
よし、行こう!と意志をかため、いざ外へ。
・・・・・・・・・・。
誰もこない。あれ?
あたりはシーンとしており、誰も私たちに話しかけてこない。
そして前方に私の名前カードを持ったインド人がいた。
あ。いた。
ミッション完了。
あまりにも予想外すぎてむしろ物足りないとさえ思えてきた。
ぜんぜん情報と違うじゃん。
まあ。よかったことに越したことはないのだけれど。
そのままカードを持った運転手の後について行くと大きなバンに乗るよう指示された。
私たちだけかと思ったら、すでに多くのインド人が乗っていた。
そのまま車は出発。
車は走り出し、窓から外を見るとそこはもう異世界。
けたたましく鳴り響くクラクションの音。
車、トゥクトゥクの数が多く隙間を割って入るように走る。信号もないし、スピードも出し放題。逆走も当たり前。この国には交通ルールてもんは存在しないのか。
いつぶつかって事故ってもおかしくない状況に内心ヒヤヒヤしていた。
これこそカオス。
しばらく走ると宿に行ってくれるかと思いきや、車はラジェンダさんのいるシゲタトラベルのオフィスへ到着。
よかった。これで飛行機内で考えた心配事も相談できる。
オフィス内にはとても綺麗で豪華。そしてたくさんの日本人がいた。
すると、ラジェンダさん登場。
メールであれだけいろいろとやりとりしていたので、私は会えたことに少し感動していた。
だが、話してみるとメールでのイメージとは少し違い、無表情で割とサバサバしていて淡々と話す人だった。
それでも、メールで言った通り、列車のチケットやその他もろもろ準備しておいてくれたのだ。
もっとフレンドリーでハグしたりしてくるかと思ったが、どちらかというと、見た目以外は完全に日本人だ。きっと、仕事上日本人のことをよく理解してのこの対応だったのかな。
これで私の心配事は解消。
ほっとした。
その後再び移動し、本日の宿VIVEKに到着。
2人で800ルピー(1000円くらい)
なんとシャワーは水のみ、エアコンなしだ。まあ、一晩だし大丈夫だろう。
荷物を置いたらものすごい空腹が襲ってきた。気づけばもう夕飯の時間だ。
この宿はメインバザーロードに面しているため、外は店屋や人で大賑わいだ。
とにかく外に出て町歩きをすることに。あたりは暗く、暗闇で見るインド人は目だけがギョロギョロと動く感じがして怖かった。そして一斉に私たちに視線が向けられる。100%の確率でインド人は私たちをガン見する。だが、特に何も話しかけない。
何も悪いことしていないのに、何ともいえない気分。うっわ。めっちゃ目立ってるし。
そういえば、観光客らしき人はほとんど見ない。
というか、わざわざ来ないか。道には犬や猫、そして人も横たわっている。
生きているのか死んでいるのかさえわからない。
なんともいえない空気。カオスだ。
しばらくあるくと、一軒の店らしきところを見つけた。店と言っても、簡素なテーブルがいくつかあるだけで店員と客の区別もつかない。が、食べているものを見ると、カレーだ。
とりあえず、ものは挑戦。たむも私も食べられれば汚さとかどうでもいいと思っていたので迷わず入店。すると、注文をしてないのに銀皿に骨のついたカレーとナンのようなうすっぺらいパンが出てきた。
ラッシーも飲みたかったので「ラッシー2ツー」と運んできたインド人に言うと無言でその場を去り、しばらくしてラッシーを2つ持ってきた。
周囲にいる人たちは私たちにガン見だ。というか、見渡す限り男ばっか。
女の人や子供を見ない。どうしてだろう。
さあ!お腹はペコペコ。念願のインドカレー。これが本場のインドカレー。
インドの味をいざ!実食!!!
うううううう。辛い。辛すぎる。
口に入れた瞬間猛烈な辛さが私たちを襲う。辛すぎて味がもはやない。
すかさず。ナンみたいのを食べるが、これがゲキマズ。
私たちはこれまでだって食にうるさいわけではない。むしろ与えられたら何でも食べる。見て分かる通りこのポッチャリ体系だ。カロリーだの成分だのそんなこと全く気にしないし、好き嫌いだってほとんどない。(私のしいたけとネギ嫌いは別として)
そして最後の頼みのラッシー。
飲もうとした瞬間。気づいた。コップの底が黒く濁っている。
そしてコップがめちゃくちゃ汚い。
飲むのを一瞬躊躇ったが、すでに口の中は辛さでマグマ状態。
周囲でガン見しているインド人はそんな私たちのリアクションを見てゲラゲラ笑っている。
ええい。飲んじゃえ!たむも同じ気持ちだ。同時にひるむことなくゴクリ。
味がない。美味しくない。
撃沈。
インドに来てどんなに嫌な目にあったって。騙されたって。きっと食がおいしければ乗り越えられる。と思ってたのに。
どこもこの味なのか。
後味があまりにも悪かったので最後にビールを注文してみたが。
「NO」の一言。ないようだ。
あ、そういえば、インド人は一般的にビールをあまり飲まないと何かの情報で得ていたことを思い出した。
そうか、ここは外国人向けの店じゃないからないのか。
きっと店が悪かっただけだとお互い励まし合い、明日こそは最高にうまいカレーを食べるぞと心に決め、宿に戻った。
1日目のインド。
私のビビリがまるで嘘だったかのようにことはうまく進んでいく。
これは運がいいだけなのか?
日頃の行いがいいからなのか?
それともまだまだこれから何かが待ち受けているのか?
何はともあれ無事に1日目が終了。
明日からは行きたかった場所へ。
*機内であれだけ爆睡していたたむだったが、宿でもベッドに入るや否や即就寝。
寝る子は育つ。
VOL4 へつづく
〜まぢなんなん!インドってさ!〜vol 2
インドに向けてどこに行くかを決める。
どこに行きたいか。お互いインドについてはほぼ無知。タージマハル、ガンジス川、カレー。
そのくらいしかわからない。
そして出た答えは「まあ、インド着いたら適当に考えればいいか」
いかにも私たちらしい。
そして日程は、5月のGW。お互いの仕事の休みが唯一重なる日程。
5月2日〜5日で行こう。短すぎる。でも、思い立ったら夏まで待てなかった。すぐに行きたくなった。もうその衝動は止められない。
今回もツアーでなく個人旅行。宿も交通手段も自分たちで予約するのだ。
でも、そもそも「インド旅行」って日本人にとってはいくら旅行といえどもハードルが高いようであまりにも情報量が少ない。
ツアー会社を通せさえすれば、いくらでもあるがかなり高価であるし、それではリアルなインドが見えない。
3日間という弾丸日程の中でいかに自分たちが満足する内容であるかは、やっぱり自分で調べてプランを考える方がよっぽどわくわくする。
そうと決まったらとことんリサーチをするのが私の性格。タイの時と同様にyoutubeで片っ端からインドの個人旅行やバックパーカー系の動画を見まくり、図書館へ通い、旅行雑誌、文化史などインドに関連するものを読み漁った。
そして、これは私の中の旅に行く前の儀式的な行為の一つとして、旅を行くと決めた日から旅が始まるまでは、その国の食べ物を食べ続ける。体内からその国に行くんだと念じ、慣れされる。そうすることで脳、体内とインドモードにして準備をするのだ。
だから、近くのインドカレー屋に通い詰めたり、ナンを手作りしてみたりと。
なんだかもう完全に自分はインド人になったような気がして、こうなっちゃうと誰も私を止められないし、私も周りが見えなくなる。いつもそうなのだ。
たむは私に全て任せると言ってくれた。どんな破茶滅茶なプランでも付いていくと言ってくれた。肝が座っているし、彼女は私なんかよりよっぽど英語力に長けている。だから言語面でもかなり頼れる。だから私はその言葉を聞いて満足いくまで調べあげた。
そしてこの3日間で行く場所とルートも大体決まったのだ。
インドは広い。移動をするとなるとかなり時間がかかる。
そこで数ある情報の中で特に私が興味を持ったのは、ガンジス川と寝台列車だった。
なんとしても自分の目で「生と死が入り乱れる聖なる川」と呼ばれるガンジス川を見てみたかった。そして夜行列車に乗って、たかのさんのように隣に座っているインド人と仲良くなったり、インド人家族と一生に一度の出会いを経験してみたかったのだ。
とりあえず、日本にいる間、最低限できることはしておこうと思った。なんせ弾丸旅行。ひとつでも予定がずれれば、行きたいところを断念しなければならなくなってしまう。それは避けたかった。今回はたむもいる。たむは私に全てを任せてくれたのだから、私もできるだけいい思い出になるようにプランニングしたかったのだ。
調べていくと、いくつかどうしても私たちだけではあまりにも危険すぎる難点が出てきた。
まず日本を発った後、デリーに着くのは夜。そこから宿までどうやって行くか。ということ。
通常であれば、空港を出ればタクシーの運ちゃんやリキシャ、バイクの運ちゃんはイヤってほどいる。多少はボラれるのを覚悟で交渉して宿まで行くのを考える。
だが、色々な情報を見ると、インドはそれが通用しない。まず、空港を出た瞬間周りを
何十ものインド人に囲まれ、物凄い勢いで「俺の車に乗れ」と一斉に声をかけられる、中には無理やり手を掴まれ、車に押し込まれることもあるようだ。そして目的地とは違った場所に連れて行かれることもあるそうだ。そして自分の鞄や貴重品がいつの間にか無くなっている。。。。
ヤバすぎる。いくら一人じゃないといっても、こっちは女二人である。力で負けてしまう。長いフライトでくたくたな上、インドに着いても、目的の宿に行けないなんてそんな話があるか。そうなるとわかっていて、わざわざこのインド人に挑む勇気はない。下手したら、お金の問題だけではなく、抵抗して命を落とすことだってあり得る。そのくらいインドという国はめちゃくちゃなのだそうだ。
だから、空港から宿までは事前に送迎車を手配すること。
そしてもう一つ。寝台列車のチケットをどうやって手に入れるか。ということ。
インドでは列車は庶民の足としても日常的に使われている。よくTVで見るが列車はいつも満員。というかはみ出ている。時には列車の上に乗っていたり、ドアから体がほとんどはみ出した状態で走っていたりする。そのくらいものすごい乗車率なのだ。
だからチケットは、当日に駅に行って手に入ることはまずない。事前に予約していく必要があるのだ。
そしてネット予約ができるそうだが、かなり複雑だ。(現在はわからないが)
まだまだ外国人向けになっていないため、英語表記や予約完了の確認などもよくわからない。
というわけで、列車のチケット予約は誰かに代行してもらう必要があること。
この2点はどうしても自分たちではできないのでどこか代行してくれる旅行会社等を探す必要があった。しかし、インド旅行系の旅行会社はとても数が少なく、なかなか私の要望にそうところはなかった。
偶然、たまたまネットか本か何かで目にした「シゲタトラベル」というツアー会社。
バックパッカーの間ではかなり有名らしい。なんと言ってもオーナーのラジェンダ?さんは、日本語堪能。当時はインドツアーの問い合わせや、ツアーでなく生活情報、ホテル、悩み相談等、インドに関係することなら何でも聞いてくださいという程のインド初心者にはかなり心強い存在だと聞いていた。
きっとこの人なら私の要望を聞いてくれるかもしれないと思い、思い切ってメールで問い合わせてきた。
日本語が堪能といっても、どの程度なのか分からない。あまり難しい単語は使わない文にして送信した。
すると、すぐに返信がきた。
「あなたの要望はわかりました。では、あなたの旅の日程と、行きたい場所、泊まる宿、さらにフライト時間を教えてください。」
まるで日本人さながらの文章。
とても丁寧で、間違った日本語はない。ただ、ここまで私たちの日程を詳細に聞くということはもしかしたら、私たちの旅をすべてコーディネイトする気じゃないだろうか。
これじゃあ、向こうにとっていい鴨ではないか。きっといろいろなオプションを付けられ、多額のお金を請求されるに決まっている。その手には乗るものか。私はそんなインド人の考えをお見通しだぞ。
とりあえず、『私たちは空港からホテルまでの車のチャーターと、寝台列車のチケット予約の代行だけをお願いしたい。』
と再度伝えた上で、旅行日数、行く観光地、宿。フライト時間を伝えた。
すると、またすぐにラジェンダから返信が来た。
「あなた達の日程を確認しましたが、何点か移動時間が異なっているのと、現地の情報をお伝えします。」
そこには、私が練って考えた日程よりもより明確で、かつわかりやすいことが書かれていた。ガイドブックには決して載っていないだろう、情報だった。アグラという場所に行くなら電車で行く方がいいらしく、そのチケットの予約も引き受けてくれた。そして、もしラジェンダに私たちの旅程を伝えていなかったら絶対にガンジス川に行くことは不可能だということも後々わかった。要は何をするにも予定以上の時間を費やすということなのだ。
短期期間だからと言って無理してでも欲張って予定を詰め込みすぎると、必ずよくないことが起きる。そんなことを、ラジェンダはメールで伝えてくれたようにも思えた。
本当にメールのやりとりをしていると、まるで本人と話しているようで、人の良さが伝わってきた。一度でも、彼の親切を信じなかった自分が恥ずかしい。
これまでインド情報を収集してきてインドに対して怖さと不安が募っていた私の気持ちは、彼のメールによってずいぶん緩和された。
そして、私の要望をラジェンダは快く引き受けてくれ、あとは出発の日を待つだけとなった。
あ〜インドって一体どんな国なんだろう。
行った人しかわからないインドの魅力とやらを知りたくて仕方なかった。
〜まぢなんなん!インドってさ!〜vol 1
タイへの初の一人旅を終えてからというもの、私の旅に対する興味は日に日に増していった。
暇さえあれば、次にいく国は〜・・・と考えてばかり。
もちろん、たかのさんの本を何度も読み返す日々は継続中。
それと同じくらいどハマりしていたのは、IKKO'S FILMSというYoutubeチャンネルだった。
このチャンネルでは、同世代の仲良し男子が色々な国を訪れ、その旅の様子を動画にしたものなのだが。
動画作成者のイッコーさん目線でその国で感じたことや、突っ込みたいところなどが赤裸々に明かされている。不思議と見ていて引き込まれる要素が多く、視聴者の大多数が男性であるらしいが、その中でもレアな女性視聴者の一人だと言える。
まあ、興味があえば是非見ていただきたいチャンネル。
[http://]
そんなこんなで次に行く国を決めていた。
たかのさんが香港の次に行った国インド。このインド編では、ものすごく私の感性を刺激する出来事が書かれていた。
インドという国、人、食、環境、その全てが日本とはかけ離れている。
私にとって知らない世界。未知。
私は、本やテレビの映像で知ったインドではなく、自分自身の目で耳で鼻で、、、全身で感じたインドを知りたいと思った。
ただ身近にいるインドへ行ったことのある人から聞くインド。そこで皆んなが口を揃えて言うのは「とんでもない国だ」ということ。
「この世の常識というものがひっくり返るよ。」「インドに行った後、もう一度インドに行きたいと思うか、もう二度と行きたくないと思うか。その気持ちでインドの印象が大きく変わる」
そんなこと言われたら、私の好奇心は高まるばかりだ。
「インド旅行 女」とネットで調べるとすぐにこのワードが出てきた。
「危険」「ぼったくり」「売春」「レイプ」「下痢」「犯罪」「ドラッグ」「性犯罪」
どうやら女一人旅には向かないようだ。
でも、こうも考えられる、インドへ行けたらもうどの国も行けるんじゃね?
それくらいレベルが高い。旅のビギナーがいきなりラスボスに挑む感じ。
危険かもしれないけど、今の自分には行くべき場所、行かなければならない場所なのかもしれない。それくらい、心は精神的に病み、落ちていた。
日々の仕事。繰り返される毎日やルーティンに飽き、疲れていた。
『安定』『安心」『普通』そんな言葉がいつも私の側にはくっついているような感覚。
きっと来年、再来年、5年後、10年後だってこの日常は変わらないだろう。
端から見ればなんて幸せなのだろう。公務員というだけでお金にも困らないし、老後も安泰、休暇や医療面でも手厚いサポート。
そう、ここにとどまっている限り、私は守られているのだ。
でも、なぜか私の心はいつもすかすかで満たされていない。
「ありきたり」という言葉が好きでないのかもしれない。
組織の中で働くというのは、周りに足並みを揃へ、経験年数で人を判断するような世界。
能力がある人が生き残り、他者から気に入られる。
一時でもその輪からはみ出てしまったり、遅れてしまうと、もう元には戻れないような空気。
空気を読む。
自分の立場をわきまえる。
周りの顔色を伺い、その雰囲気でもっともらしい言葉であたかも自分の考えかのように意見する。
少なくともみんなそうやって本心とか本音とか押し殺して必死にこの社会で生きている。
最初は違和感でしかなくても、慣れると日常になり、何も感じなくなる。わからなくなる。
自分が自分じゃなくなることを受け入れられず、心の中でもがいていた。
きっと日本にいる限り、どこいこうがそこに日本人がいたら、嘘の自分が発動してしまう。
私にとって日本人ということ。日本語というツールを使うことがそもそも自分を偽る大本になっているのかも。
そしたら。非日常を過ごせる場所に身に置いてみる。
タイの時に経験したように、自分の身ひとつでどこまでできるのか、自分で自分を試したい。
当時の自分はこんな自分の思いを言語化できなかったのだ。
ただただ生きづらい。自分を変えたい。
そういった話を、唯一話せる友人にぽろっと言ったことがあった。
彼女は高校時代からの親友で当時3年間一緒にハンドボール部のメンバーだったエース、たむだ。
たむとは、当時からいつも馬鹿な話をしてはお腹を抱えて笑いこげるほどの仲。
性格や趣味、ファッションなんかもどこかいつも似ていて、とにかく二人でいて退屈したことはない。大学からはお互い違う道へ進み、今では大手有名企業でバリバリ働くスーパーキャリアウーマンだが、どれだけ久しぶりの再会をしようと、私たちはいつだって何も変わらない。
とても居心地の良い存在だ。
私は彼女にインドに興味があることやモヤモヤする気持ちを伝えた。彼女から返ってきた答えは、「なにそれ?インド?おもしろそーじゃん!あっしもいくわ〜!」
と。なんともあっさり。しかも、私があれだけインドは危険だと言ったにも関わらず、全くと言っていいほど怖いもの無しだ。
まあ。これだけ度胸の座ったたむが一緒なら、とても心強いし、全く気も遣わない。まさか、一緒に行くというとは思わなかったが、私のインドに行くという目標は、このたむの一言によって叶ってしまったのだ。
そう。私の2回目の旅は相棒たむと行くインド旅。
無茶苦茶で破茶滅茶なインド人。でもどこか憎めないインド人。
これからお話しするのは、非日常で刺激的な旅の一部始終!!
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
〜初の一人旅はタイへ〜 Vol 6 ラストはまさかの金欠ピンチ
国と国との距離は、物理的なものじゃなくて、心の距離だったんだなぁ。
あぁ、なんか「動く」のってスゴい!この旅に出たことも、こうやってバスに揺られていることも、すべては私が動いたことから始まったんだ。人との出会いだって、動くことから始まる。こっちから出向くこともあれば、向こうからやって来ることもある。でも、心が動かされなければ、それは出会いにはならない。ただのすれ違いだ。ジーッとしていたって何も始まらないし、何も変わりはしない。心を動かす、体を動かす、なんでもいい。とにかくいつも、動いていることが大事なんだ。
これは「ガンジス河でバタフライ」でたかのさんが言っていたこと。
私の旅はまさに、この言葉通りに動いている。
翌朝、目の状態が気になって鏡を見ると、昨日よりも赤く腫れ、もともと小さくて細い目がさらに小さくなっていた。
内心ショックを受けてはいたが、ここはタイ。タイ人からしたら私の顔なんて気にならないだろう。それに一人で来てるから自分の写真を撮るわけでもないし、むしろ元からこういう顔だと、堂々としてればいいのだ。
と意外にも開き直っている自分がいた。日本にいたら、メイクや眼帯。何としてでも隠していただろう。
なのに、今の自分ときたら、、、なんなんだ。随分と気が大きくなったものだ。
せっかくだから、ここから少し離れて遺跡で有名なアユタヤに行ってみたくなった。
バスで2時間程で行けるという情報を仕入れ、さっそく町のバスターミナルへ。
あいにくすごい人だ。バスはたくさんあるものの行き先が全くわからない。
すかさず、「どこ行く?」とおっちゃんに聞かれたので「アユタヤーアユタヤー」と答えると、俺についてこいと言わんばかりに歩き出した。
そのままついて行くと、一台のバンが。バスではないが、何人かの外国人が乗っている。
もう一度アユタヤ?と確認すると、そうだと頷いた。
まあ、これだけ人も乗っていることだし大丈夫だろうと思いバンに乗り込むことに。
車内はクーラーが効いてるし、揺れも少ない。
車内を見渡したところヨーロッパ系、アジア系の観光客らしき人ばっかりだ。しかもみんなカップルだし。一人で乗ってるの私だけじゃん。
気にしない気にしない。と。
約1時間ほど走ったところで車が停車した。どうやら予定よりも早く着いたみたいだ。車から降りると、、、、
なんとそこは道路?というか周りに店や建物もない、芝生と木が生茂る道のど真ん中だった。
そして車から降りたのはなんと私だけ。え?
他のみんなは?とキョロキョロしていると、乗っていたバンは私を残し去っていった。
車内から手を振ってる外国人たち。
え〜〜〜〜?!?!
みんな降りないんかい!?嘘でしょ?!ここどこよ?!本当にアユタヤ??
誰もいないし。何よこの仕打ち!!!!と、とりあえず位置を確認。
でも位置が定まらない。
すると目の前に看板?標識的なものが英語でアユタヤと書いてある。
一応、ここはアユタヤなようだ。多分あの他の外国人はアユタヤ目当てではなかったのだ。私は途中で下ろされたってことか。
なんとなく状況が読めた。
しばらく道と言ってよいのかわからないが、歩いていると一台の車が私の隣で止まった。
車からおっちゃんが降りてきてカタコトの日本語を話し出した。
あーこれはインチキガイドの登場だ。
アユタヤの有名観光地を周るプランを進めてきた。
手には、観光地の写真と日本語で説明が書かれている。そして「友達ノート」と書かれたノートを私に見せてきた
おっちゃんは「ワタシダイジョブ、コワクナイ、アンゼンヨ」
いや、そういう人に限って怪しくて信用できないっつーの。
その手には乗るもんか。興味ないといった態度をとっていると。
「コレヨンデ、ミンナワタシノトモダチ、ワタシアンゼン」
強引に渡してきたので読むと、そこには
”このノートを読んだ日本人の方へ。わたしはこのガイドに多額のお金を請求されました。気をつけてください♡THANK YOU”
”このおじさんは、信用しないほうがいいです。詐欺です”
”このおじさんに言われた金額は通常の2倍です。必ず値切り交渉を♡”
読み進めながら私は思った。このノートに書いたほとんどの人はみんなこのおっちゃんに騙された被害者だ。文末に♡やありがとうの文字をわざと書いていかにも良いことが書いてある風を装っているだけで、日本語が読める人が見ればすぐにわかる。
あーおっちゃんいかにも自信ありげに誇らしい顔をしてノートを見せてきたけど、内容は全く理解していないのね。笑
もしここでこのおっちゃんのインチキツアーに付き合わなかったら、私はここで彷徨うことになる。帰りのバス停もここがどこだかわからないのだから。
それに、このおっちゃん一応お金をぼるだけで、危険な目には合わせないだろうし。
よし、ここは私が有利だ。これからおっちゃんがふっかけてくる値を下げてやろうじゃないの!
ノートを読んでなんだかノートを書いた顔も知らない日本人が私の味方になった気がして急に自信が湧いてきた。
「おっけー。で、おっちゃん私、この観光地7つ全部周りたいんだけど全部でいくらよ?」
おっちゃん「おーそうかそうか。
このプランはきっと気にいるよ。君はかわいいから特別に安くしてあげる。そうだな〜1700Bはどう?」
1700円といったらだいたい5700円近い値段だ!!
げっ!高い。高すぎるよ。
さすがノートにあれだけ書かれるだけあるわ。
そう言えばさっき車の中で所持金確認したんだった。確か私の全財産は1500B。。。。
って、無理じゃん。帰りのバス代だって残しておかなきゃいけないんだから。
私 「私は学生(大嘘)だからそんなにお金もってないよ」
おっちゃん「じゃあいくらならいいんだ?」
「500B」
「はあ?!?!君はなんてジョークがそんなうまいんだ?!500Bで行けるわけないだろう。」
とっさに出た500B。さすがに下げすぎたか。でもお金ないしな。
しばらく渋っていた。
するとおっちゃん「よし、わかったわかったじゃあ、好きなとこ4つ選べそうすれば800Bでいいぞ」
う〜んこれって得なのか損なのか。
微妙。まあ、でもこれで揉めるのも嫌だし。まあ、安全に穏便に。
仕方なく了承した。
おっちゃんはちょっとここで待ってろと言って急に車に乗ってどこかに行ってしまった。
数分すると一台のトゥクトゥクが来た。運転手はなんとお姉さん。どうやら案内するのはおっちゃんではなく、このお姉ちゃんらしい。髪を茶色く染めていて、大きな体。かなり貫禄がある。日本にいたらヤンママみたいな感じ、車内もかなりギラついている。
でも、女性ってだけでなんか安心した。なんとなく根拠のない信頼性のようなものを感じた。
彼女は英語は話せないようだったが、観光地に止まる度に笑顔でフレンドリーだった。私のカバンは車内に置いておいていいよ。と言ってくれたが、鞄の中にはパスポートやガイドブックやいろんなメモなど無くしたら困るものも入っているしな〜
大丈夫かな。悪いけど疑っちゃうな。
でも待てよ。そういえばこの姉ちゃん車内でもしきりにカタコトの英語で「マネー バッグ イン」と言っていたな。
その言葉が本心ならまあ、大丈夫か。
そんな心配は必要ないと確信できるくらい、お姉ちゃんは親切で頼りがいのある人だった。
行動の節々や表情から人の良さが伝わる。
この人の給料はいったいいくらで普段どんな生活をしているのだろう。
ふと、言葉が通じたらどれだけいいだろう。なんて思った。
その後も観光地をいくつか巡り、不安感なんて何一つなく、快適な時間を過ごしていた。
3つ目の観光地はどこ?と聞くと像に乗れる場所があるよ。と。
私は、タイに行ったら象に乗ってみたいと思っていたのでなんというグッドタイミング。これはきっと最高の思い出になるに違いない。私はあまりにも嬉しくてテンションMAX!!
お姉ちゃんも嬉しそうだった。
胸を弾ませ着いたのは、アユタヤパークとかいう像に乗れる観光地。たくさんの外国人。よく見ると日本人観光客もいるようだ。
お姉ちゃんも「さあ、着いたよ、思いっきり楽しんできて!私はここで待ってるからね」とわざわざチケット売り場まで付いてきてくれた。
パークのおばちゃんがカタコトの日本語で
「ゾウノリ 30プン シャシンツキ 1300B シャシンナシ 900B」
げ。。。高い。私の全財産は700B。
全然足らないじゃん。これはまた値切るか。
私「I HAVE NO MONEY!! I AM SYUDENT!!]
しきりに連呼した。
するとおばちゃん達もこの手の対応には慣れているのか
「ノー アカジ! アカジ!」
とどこでこの言葉を覚えたのかはわからないが、言い返してくる。
気づけば他のスタッフも集まってきて私を取り囲んだ。
げ?!何!?本当にお金ないんだってば!信じてよ〜〜
私は自分の財布の中を見せ、お金がないことを伝えた。
あ〜せっかくお姉ちゃんに連れてきてもらったのにな。像乗りたかったな。
すると騒ぎに気づいたお姉ちゃんが私の方へ来てくれた。
私は助かった〜と思うと同時に。もしかしたらお姉ちゃんはお金がない私を見捨てるかもしれない。言うたってお姉ちゃんだってここのスタッフと同様に商売人だ。それにここに来たのも私からお金を払わせるために連れてきたのかも。こことグルになっている可能性は十分ある。
もしも、私がお金を払わないとわかったら私を置いていくかもしれない、もしくはガイドブックに書いてったように知らない悪の組織みたいなとこに連れていって乱暴されたり、拉致されるかもしれない。。。
そんな不安が脳裏によぎり、お姉ちゃんへの申し訳なさとこの先どうなってしまうのかという不安が一気に押し寄せる。
お姉ちゃんは私のところに来るなり、状況がわからない様子だった。私が「ここは高すぎるよ」と伝えると、ここは正式なパークだから値下げはできないのよ。と。
その後パークのスタッフとタイ語で何やら話している。
何を話しているんだろう。私を拉致する話?売春する話か?
考えだすと、悪い方へばかり考えてしまう。
しばらく話し合いをするとお姉ちゃんは困ったような顔で私に
「お金本当にないの?」と。
私はタイバーツはこれで全部。あとはクレジットカードと万が一のために靴下に入れておいた1万円を見せた。
はぁ。お姉ちゃんもお客である私を連れてきた以上、1円も払わずさようならができない状況なんだろうな。
すると「ATM」と一言。
え?このスーパーすらない場所にATMがあるのか?
というか、ATMとか使ったことがないし、海外からお金おろせるのか?
ATMに関しては当時無知だった私は意味がわからなかった。
しかし、このやり場のない雰囲気と私を取り囲むみんなが全て敵に見えた。ここで従わないと命を落とすかもしれない。
脳裏に『日本人でタイを一人旅をしていた女性が拉致』というワードがよぎる。
あ〜それだけは勘弁。とにかく今はお姉さんに従おう。
きっとさっきの話し合いで、もう私からお金を出してもらうことしか考えてないはずだ。
少し走るとATMらしきものが。見るからに古く、周囲に警備員らしき人もいない。むき出しで設置されているATM。これじゃあ、暗証番号丸見えじゃん。
とかなり不安に思いながら、今はとにかくお金を手に入れなければならないのでとりあえずクレジットカードを入れてみる。
初めて使うATMのキャッシング、英語表記が全く理解できない。
とりあえず適当にボタンを押してみるが。
何度押してもカードが手元に戻ってきてしまう。
あ〜なんでお金下ろせないんだよ。これでお金が引き出せなかったら私どうなっちゃうんだろう。
内心かなり焦っていた。お金引き出せなかったなんてお姉さんに言ったら、こいつお金を出したくないから嘘ついてるって思われるかな。
あ〜どうしよう。
そうこうあたふたしていると、お姉さんがやってきた。
私がお金を引き出せていないことがわかると、トゥクトゥクに戻れと手で合図した。
その時のお姉さんは微笑んでいるようにも、冷ややかな笑みのようにもどちらとも見えた。もはや、お姉さんが怒っているのかさえ分からない。
再び少し走ると、またATMの前で止まった。
ここでも試してみたら?とかなり軽い感じで私に一言。
あれ?私はここに着くまで心臓バクバクで頭の中はお金が下ろせなかったら、どうなってしまうのかという一大事だというのに、なんだこのお姉さんの口ぶりや、あっさりした態度は。
これがこれから私を拉致する人の態度とは、どう考えても思えない。
そうして再びATMにトライ。
が、、、またしてもエラーの文字が。
もうこのATMが古くて壊れているのか、もしくは私のクレジットカードが海外に対応していないのか。よくわからなくなってきた。
お姉さんにここもダメというと。更にまた違うATM。そしてここもダメだった。
おねえさんもさすがにもうこの辺にATMはないよ。と。
私は、日本円の1万円札を出し
「これ日本のお金なんだけど、これで払っちゃダメかな?
さっきのスタッフに交渉できる?入場料の2倍以上の価値があるからさ」
すると、お姉さん何も答えず、再びトゥクトゥクを走らせた。
到着したのはなんと、、、、、
両替所。
え〜〜〜?!?!両替所あるの?!てか、もっと早く連れていってよ!!
無事にタイバーツゲット。ふっ。
何だったんだ、この予想外の結末は。
散々私の心を不安にし、ATM探しに夢中になり、お金が下せない度にこの世の終わりみたいな気持ちになり。
ふーーっ。本当に疲れた。でもこうしてお姉さんが嫌な顔せず、私のお金調達に付き合ってくれた。
わかったことはこの人は悪い人ではないということ。
そうだったのだ、アユタヤパークでスタッフとあ姉さんが話していたことは、私を拉致する話ではなくて、お金を調達して戻ってくるということ。
私が像に乗りたがってたことをお姉さんは知って、きっとその願いを叶えてくれようとしてたんじゃないのかな。
疑った自分が情けなくなった。
再びアユタヤパークに行くと、待っていたと言わんばかりに私を囲むスタッフ達。
まったく。さっきまでの一文ナシの自分はどこへやら。
今や大金を手にし、億万長者の気分になった気持ちだ。
もちろん写真付きの像ノリプランを。
写真はまさかの虎とのツーショット。
そして像に乗った!
その間にも、カバンを持ってくれたスタッフ。写真を撮ってくれたスタッフ。頼んでもないのに勝手に私に親切にしてきた人たちから「チップチップ」とせがまれる始末。
何なんだよ。まったく。
ええい、私は億万長者だ!くれてやる〜〜
完全に頭おかしくなってきた。
さっきまで拉致とか殺害とかそんなことばかり考えていた自分が、馬鹿みたいだった
念願の像乗りに大満足して、お姉さんの待つトゥクトゥクへ。
私の満足した表情を見て、お姉さんも嬉しそうだった。
日も暮れてきたところで、帰りの手段やどこからバンコクに帰るのか、、お姉さんに聞くと、笑顔で大丈夫。との一言。
この大丈夫は信じられると確信できた。
私はそれ以上何も聞かず、仮にお姉さんからチップを多く請求されても、私をここまで満足させてくれたこと、親切心でATMを探してくれたこと。そして何よりお姉さんと一緒にいる時間が楽しかったこと全てに感謝の気持ちとしてチップという形でお礼をしようと考えていた。
なんとお姉さんが連れてきてくれたのはバンコク行きのバス停。行きに乗ってきたのと同じようなバンもある。
お姉さんが運転手と交渉してくれ、
「これに乗ってバンコクに帰って」
と帰りの足まで確保してくれたのだ。そこまで親切にしてくれたことが嬉しくて、何だか泣きそうになった。
お別れの時。
結局お姉さんは最後までチップをせがまなかった。
どうしてもお姉さんとの思い出を残したくて腫れた目ではあったが、一緒に写真を撮った。
別れの挨拶のとき、気持ちと言ってチップを渡し、バンコク行きのバンに乗り込んだ。
ひとつひとつの選択が新たな出会いにつながって、次の旅先がおのずと決まっていくことの不思議さを、私は感じずにはいられなかった。
知らず知らずのうちに私は、何もかも自分で決めて動いている。自分の人生をこの手でつかんでいるような気がした。食べたい物も、泊まりたい宿も、仲良くなりたい人も、行きたい場所も、目的地に向かう方法も、すべては私の選択にゆだねられているのだ。
そう、たかのさんが言うように、この旅では私が主人公であり、私の選択によって物語は大きく変わっていくように感じた。
窓から見える夕日を眺めながら、今日あった出来事を振り返る。
これまで、1日の中でこんなにもドキドキしたり、ワクワクしたり、恐怖心や安心感を感じたことがあっただろうか。
ここに来なかったら一生会うことはなかったであろう人たち。
人の内面というのは外見や国籍で判断できるものではない。
直接関わってみて、お互いをわかり合おうとすること、お互いがハッピーであるために行動すること。
とても簡単なことだけど、今の自分にはすごく難しいことがよくわかった。
いよいよ明日で旅は終わりだ。
いろいろな感情が入り乱れた後だったが、不思議とものすごい達成感が私を満たしていた。
こんな私でも異国に一人で来れた。
何よりも自分で自分をやるじゃん!と思えた瞬間でもあった。
ありがとう、私に関わってくれた人たち。
〜初の一人旅はタイへ〜 the end
別トピック 〜オンライン英会話で本物の友情を手に入れた話〜
今ではかなりメジャーになりつつあるオンライン英会話。
私がこのオンライン英会話にどハマりした訳。
きっかけなんて、何でもいい。
このオンライン英会話のおかげで私は国境を超えて生まれて初めて心から信じられる友人ができた。彼女たちと出会ったのは2018年になる。今でも私たちの友情は変わらない。
当時、青年海外協力隊になりたくて、決意を決めた春。
それから、協力隊になるための試験や面接を突破するわけだが、退職し、行くあてもなく、日本各地をめぐり、気に入った場所でゲストハウス を見つけ、その日暮らしをする日々。
ある日、奈良県にたどり着いた私はこの地がとても気に入り、しばらくゲストハウス を転々としながら滞在していた。そこで運命的に私の心を鷲掴みにした宿があった。
あまりにも居心地がよく、後に3ヶ月間、無料で滞在させてもらう代わりに宿のスタッフとして働くフリーアコモデーションをすることになるのだが。。(この記事についてはまた後で)
とにかく、ここでの暮らしは日常から離れ、日本にいるのに海外で旅をしているような錯覚に陥る。お客さんのほとんどは海外からの旅行者。
接客はもちろん英語。基本的な必要最低限の英語は教えてもらえたが、ここはゲストハウス 。
お客さんと会話してナンボという毎日。
私もお客さんと話したい!
そして協力隊として海外にいく以上、いくら現地語があるといっても基本は英語である。どんな場面でも英語が基本である。
覚えておいて損はない。むしろ今の時間があるうちに英語を学ぶチャンスだ!
もちろん宿のスタッフとして生活していると、毎日英語が飛び交い耳は少しずつ英語モードになる。
環境はバッチリだった。
英語の参考書やネットなどいろいろと駆使しながら、お客さんのいない時間に勉強をした。
でも、この勉強の仕方は私には合わなかった。
そこでいろいろとネットで情報収集していくうちにオンライン英会話という手段にたどり着いたのだ。
私が体験したオンライン英会話のメリットは
・ネット環境さえあれば、まるで直接会っているのと変わらない英会話ができる。海外へ留学する人、英会話教室に通う人、移動をしなければレッスンを受けられない。そんな壁はもうないのだ。
・講師の数はかなり多く全員把握するのは不可能なくらい。したがって受けたい時に受けたい時間だけ受けられる。完全に受講する側である私たちが有利である。
私が申し込んだのはネイティブキャンプ月5000円(2018年度)程の値段で24時間、無制限にレッスンを受講することができる。
朝どれだけ早くても、深夜になろうとも必ずレッスンをしてくれる先生はいる。
そして1日同じ先生で何回も受講することもできる。当時、どハマりした私は1日8〜9時間レッスンしていた。お気に入りの3人の先生のローテーション。
・世界からさまざまな国の人から英語を学ぶことができる。もともと私が登録していたネイティブキャンプはフィリピンのセブ島に会社があり、そこでフィリピン 人を雇ってレッスンをしているのでフィリピン 人の割合は多い。だが、他のアジアの国、南米、アフリカ、ヨーロッパなどなど全世界から登録している講師がいるため、よりネイティブの発音が聞きたい!自分はニューヨークで将来行きたいからアメリカ出身者がいい!と言う人はお目当ての国の講師を選べば良いだけだ。もちろんそれらの講師は自宅からレッスンすることになるため、ネット環境が厳しい環境に住んでいる講師もいることはいる。
・講師を選ぶ選択権がある。
語学を学ぶ上で重要なのは講師との相性であると考える。いくら有名で評判がよいレッスンだとしても講師の人間性や性格が受け入れられなければ、学びのモチベーションは上がらないし、なんといっても楽しくない。いかにストレスなく、自分優位でいられるかが私にとっては重要だ。
そこでオンライン英会話では仮に初めての講師と受講して、その講師が自分に合わないと思ったら次回から選ばなければいい話である。受講しないからといって誰も理由も聞かないし、催促もしない。レッスン途中でこれ以上この講師と話したくないと思えば、ごめん今日はここまで!といってレッスンを退出すればいい話なのである。
・そして、最後に私が何よりもお勧めすることは、講師とのレッスン内容は他の誰にも聞かれず、かつ監視されていないということ。私は講師と仲良くなりすぎたあげく、恋愛相談、人生経験、悩み相談、誕生日会、さらには彼女の国へ遊ぶ約束のためのプランニングまでこのレッスン内でしていた。もちろん、会話はすべて英語なのでレッスンに違いはない。
私たちはこのレッスンという名のフリートークで毎日、友情を深めていった。時に一緒にカラオケをして歌ったり、写真撮影や日常生活の共有などもしていたほどだ。
こういった理由から私の生活はオンライン英会話中心になっていった。
基本的な文法表現や会話表現、実際に旅行に行った際に役に立つ表現などこなしながらも、やはり一番楽しかったのは大好きな先生とのフリートークだった。
自分や相手の誕生日にはお祝いのための言葉を練習して伝えたり、先生のいる国(フィリピン)のことを知りたくて、時には英語ではなくビサヤ語を教えてもらった。
あるときには先生役と生徒役を交代してレッスンをしたりと、、、
とにかくレッスン中は2人だけの時間を満喫した。
先生にとっては何十人、何百人といる生徒の中の1人である私。
それに私たち受講する側は先生を選べても先生は受講者を選べない。
だから、受講者によっては困った人もいる。特にレッスンそっちのけでナンパしてくる人、教え方に不満をこぼす人、無愛想でまるでやる気のない人、子供のレッスンだからといって、完全に子どものお守りとして利用する人、、、
聞いただけでも受講者という立場を利用して、先生達に迷惑をかけている、同じ日本人としてとても嫌になった。
だからこそ、私はそんな人たちとは違うと言いたかったし、本気でもっと先生と仲良くなりたいと思った。
生まれた環境、文化、貧富の差はかなり違う。
先生達(セブ の事務所)の給料は高いとは言えないとか。
先生の過半数は大学を卒業しての女性が多い。みんな親元を離れ、共同のアパートや親戚の家で暮らしながら、稼いだ給料のほとんどを親への仕送りや兄弟の学費にあてているそうだ。
自分に使うお金なんてほとんどない。
給料が増えるためには、評価を高くし、課金しないと予約できないほどの人気講師になること。
そのためには、ネイティブキャンプが推しているカランメソッドという英語を短期間でマスターできるプログラムを教えるための資格を持っていることも一つの条件になる。と聞いた。
どの先生たちも、毎日どんな受講者が自分のレッスンを受けるのか全くわからない状況下の中で働いている。
私には絶対できない。
すごいと思う、これはおおらかでフレンドリーなフィリピン人の人柄だからできる職なのかもしれない。
そんなある何人かの先生の家庭環境を知った上で、私はいつも彼らとレッスンを楽しんでいた。
オンラインだからできることは、むしろ直接会って行うレッスンよりも効果的かつ便利な点が多いと実感している。
オンラインであるからこそ、映像を通して自分の家族を紹介したり、自分の部屋のルームツアーや、外に出て動物園やディズニーランド、カフェにも行って日本の文化紹介をした。
ネット環境さえあればどこにでも先生達を連れて行くことができる。
そして、ほとんどの先生はフェイスブックアカウントを持っているため、仲良しであれば他の受講者より早く先生のスケジュールを知ることもできるし、先生のプライベートも知れる。
これが仮に日本人だったら、自分のプライバシーを守りたいと思うかもしれないが、少なくとも私の知るフィリピン人は真逆だ!
連絡先を知ったら、レッスン日関係なく毎日のようにメールが来る。
電話も頻繁にかかってくるようになるし、、、とにかくこちらの都合はお構いなしだ。
フレンドリーすぎる。
こういう積極的すぎるところが苦手という人もいるかもしれないが、私は大歓迎だった。
レッスンが終わった後、先生の休憩時間、休日、とにかくひっきりなしにくるメールに返すのが必死だった。でも、それは全て英語のメール。
英語のメールの返し方なんてオンラインレッスンでは決して習わないだろう、
若者言葉、スラング、略語、これこそ全て日常で使う英語だ。そう、まるで実際に海外に行って留学して生活を送っているみたいだ。
そんなことを毎日のようにしていれば、誰だって英語力は身についてくる。
これは私の持論にすぎないけど、私はこの経験から語学に対する考え方がかなり変わった。
これまでの自分は外国人と話すときには、自分の英語力はかなり低いと思っているから、頭の中で何話そうか、あれを聞かれたらこう答える、そしてある程度使えそうな単語をあらかじめインプットしてから答えることが多い。
でもそれは、すぐ覚えられるけどすぐに忘れる。
なぜなら、その言葉には何のオリジナル性もなければ、ただコピーしただけで感情や本当に伝えたいことが含まれていないから。
英語というのは、話せないけど私たち日本人にとっては最も多く触れている言語だ。
日常は英語で溢れている。ただでさえ、意味はわかってないが服のブランドや家電、化粧品、道具などなど。
そういった英語は私たちの記憶に少なからずとも多く存在している。
インプットはできているのだから、あとはアウトプットするべし!(ほら英語だ!)
もちろん正式な会議、プレゼン、ビジネスや文章作成などきちんとした文法、発音、言葉遣いそういった時に使う英語はまた別物。
単に英語で友達と会話をする、旅行で英語を使う。そういった時には、自分の知っている英語でどうアレンジして使うか。
そう、こんな感じ。
ハンバーグを作りたい。
でも材料は 水、大根、豆腐、きのこしかない。
これをハンバーグにするには?考え方次第で大根おろしの和風豆腐ハンバーグにできる。。。
よね?
そう、なんちゃってハンバーグ。
こんな風に英語も同じ。なんちゃって英語ができる。なんちゃって英語には人柄と伝えたいという気持ちが何よりも大切。
英語が全てではない。伝えたいと思うならジェスチャーや表情は必要。
それに、共通して伝わる話題は歌!場が気まずくなったら歌をうたう!これにはかなり救われた。なんたって後味がいい。
だってなんちゃってハンバーグでも美味しくなかったら。。。
そのあと、とびきりおいしいケーキとコーヒー飲んだらハッピーでしょ?!
あーなんか話がめちゃくちゃになってきた。笑
そうやって私はなんちゃって英語でコミュニケーションをとってきた。
これは、オンライン英会話をしてなかったら絶対に経験できなかったことだけど、
ビーちゃん先生と仲良くなった → ビーちゃん先生と授業中歌やダンスをしまくる → 他の先生達がビーちゃん先生のレッスンに目をつける → 私とビーちゃんのレッスンにいつの間にか他の先生が乱入し、一緒に歌を歌い出す → セブのオフィス内で私の名前が知れ渡る → なぜか、はじめて受講する先生なのに私のことを知っている → 友達が増える
こんな連鎖が続き、ビーちゃん先生の友達は私の友達となった。
そうともなれば、もうセブに行って先生達に会いたい!生で会いたい。映像の中の先生達と直接会ってみたい。
そんな欲望が止まらなくなり、、、、、、、
会いに行っちゃいました!!
今となってはリゾート地のセブ島。そこへ海目当てではなく、友達に会いに行くという最高の目的で。そこには、不安とか、心配とか全くなくて、
とにかく楽しみで仕方なかった。
ご対面の時、、、なぜかお互い照れて笑いが止まらなかった。でも、フィリピン人の人懐っこさというのかスキンシップがかなり多くて、想像以上に低身長で。なんだか夢を見ているみたいで、映像の中にいた人に触れてることがただただ信じられなかった。
観光地案内やセブに住んでいる人しか知らない、グルメ、ショッピング、ゲームセンター、ジプニーなどなど
彼女達は精一杯のおもてなしをして私を楽しませてくれた。
面白かったのは撮った写真の枚数が200枚以上だったこと。
その後、日本に帰ってからもオンラインレッスンを続け、
お金を貯めては、またしてもセブに遊びに行き。。
そう今でも仲良しの関係は続いているのだ。
このネイティブキャンプなくして私たちの出会いはない。
是非、オンライン英会話に興味を持ったら挑戦するべし!
そして私はネイティブキャンプをおすすめする!
紹介して欲しい方!いつでも連絡ください!!
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