受け身でいることに慣れる
日本にいた時。
私は受け身でいることが嫌いだった。というよりか受け身でいることは、積極性に欠けるとか。やる気がないと捉えられているようで、それ若いうちであれば仕方がないといえるから許されるもの。そんな状態を受け身であるという認識だった。
だから、自分より年上の人がいる飲み会、会議、何かと自分が動かなければいけないという義務感に背中を押されているようで、いつも何を話そうか、何か必要なものはないか、なーんてとにかく気が利く私を演じていたのである。
それは、そもそも中学生、高校生の部活動で身につけたものであり、上下関係を重要視していた私の青春時代では欠かせないものだった。
しかし、ここに来てからは私はいつまでもお客様状態である。
食事の準備は年上のベトナム人がしてくれる。それも役職や経歴が上の人。
お茶碗のご飯が無くなれば、すぐに追加。
飲み物も注いでくれる。
食後のデザートも誰よりも多い。
そもそも独り占めというものが存在しないので、何をするにもシェアである。
食後の片付けもしなくてよいと言われる。
これは7ヵ月経った今でも変わらない。
そしてベトナム人は遠慮がない。
断らなければ、ご飯のお代わりをやめないし、お腹いっぱいだと言っても関係なく食事を与える。その癖、残すことはあまりよしとしない。
私は、いつだって受け身でいる。というか、言われるがままに応じれば、ベトナム人は満足するし、なんだか嬉しそうだ。
逆に自分が何か自分でしようとすると、止めに入る程だ。
食事の手伝いをすることさえ、許してもらえず、座って休んでいないさい。と言われる始末だ。
初めは、ものすごい違和感。。申し訳なさと戸惑いで心がざわついた。。
だが慣れる。。
受け身でいることが当たり前になる。。
いつも誰かが私を見ていて私のために動いてくれる。というかかまってくれる。。
もちろん食事中の同僚の会話には全くついていけず、ただ1人黙々と食べるだけ。
でも不思議と孤独を感じないのは、隣に座ってくれる人がいること。
同じ時間に一緒に食べてくれる人がいること。
必ず一言は声をかけてくれること。
私は空気でも透明人間でもなく、ちゃんとここに存在していること。
これを自覚できるのだ。
受け身でいることの居心地のよさを実感している。