生きてるってこういうこと!

#青年海外協力隊としてベトナムで過ごす日々。旅が私を変えてくれた。人が私の心を満たしてくれた。どんな時も自分が自分らしくいれるために大切なことはここに記録しました。

コロナという嫌なやつ

テト正月が終わり、新学期が始まった頃。

ベトナムで初のコロナ患者発生というニュースが1月下旬に流れた。

患者数は数名だったが、この時、国は混乱状態だった。

政府の判断はとても早く、翌週から保育園、小学校、中学校、高校、大学と全ての教育機関は休校との通達が入った。

それに対して、すぐに対応できるベトナム人にも驚いた。

街中の至る所で消毒が撒かれた。

空港や国境では、検疫が徹底された。

この迅速かつ徹底された動きにより、感染拡大は防がれ2月上旬頃には、10名近くいた感染者が全員完治。その後新たな感染者は増えていなかった。

 

判断が早く、迷いがない。

常に国民に最新がいくようにTV,FBで情報が更新され続けた。

 

国民が協力し、励まし合っている。

 

毎週金曜日には、フエの人民委員会で会議されて決定したことが通達文によって国民に知らせられる。

1週間休校延長。

 

他の省の動きを見て判断しているようにも思われる。

例え感染地域からかなり離れていても。どの省も大きく外れた判断はしない。

翌週金曜、さらに休校延長。

そして翌週も。。

高校や大学では、授業再開も見られいよいよ3月から学校再開なはずだった。。

 

 

そんな時、ベトナム新たなコロナ感染者発生のニュースが。

誰もが安心していた。この国は守られたと。

 

でも、やはりそうはいかなかった。

この感染者一人を起にどんどん感染者は増え続けた。同じ機内にいた人、CA、家族、、、、。

それに負けじと政府は徹底した隔離措置。

中にはフエでの感染者もいた。

フエ市内では、物の買い占めがおきた。

店はクローズされ、昨日まで賑やかだった街が一瞬でゴースト化した。感染者がいたホテル、飲食店は毎日、消毒作業が行われた。

その様子はFBで数時間おきに報道された。

 

現地の人は不安で騒いでいた。一人増える度に、大騒ぎだ。

まるでこの世の終わりかのように。

 

からしたら、あまりにもそれが異常な光景で理解できなかった。

しかし、毎日一緒にいる同僚がここまで騒ぐのには理由があったのだ。

 

それは、医療問題だった。

ここフエ の人々の考えはこうだ。

この地域の人々は病院に行きたがらない。

現に私も病院受診をしたことがあるが、医師の医療技術や薬、診察はかなりレベルが低いのだ。

もちろん医師が処方すれば、それに従うが必ずしもそれが完治につながるとは限らない。

それは、フエの人々も周知しているのだ。

だから、高い医療費を払ってまで病院にいかない。

怖い思いをしたくない。

大きな病気にかかることは死を意味するくらい怖いのだ。

そんな恐怖や不安を抱えている。

 

だからコロナという謎の感染症がとても怖い。

そして待っているのは隔離生活。

一人でいることに慣れていない人々。

何をするにも誰かと一緒。そんな依存度の高い国民性を持つ彼らが隔離生活という孤独の生活になることの恐怖。これもまた想像以上の不安を煽るのだ。

 

なんとなく、いろいろ理解できたことも多い。

コロナという悪いやつのおかげ?で私は毎日いろいろな情報や彼らの行動、考えを知ることができる。

生徒のいない学校、

毎日教員だけの日々。不安だった。子供がいればそれだけで私は孤独を感じないから。言葉の壁をあまり感じないから。

 

でも。これからしばらく大人だけの空間で過ごす。あるいみ試練。

でも、そんな私の不安とは逆に今まで以上の信頼関係を築けた自信がある。

 

コロナに少し感謝もある。のが事実。