生きてるってこういうこと!

#青年海外協力隊としてベトナムで過ごす日々。旅が私を変えてくれた。人が私の心を満たしてくれた。どんな時も自分が自分らしくいれるために大切なことはここに記録しました。

TVインタビューを受けて

先日、ベトナムのTV局が私の学校に来て、ベトナムで働く外国人をインタビューしたいとのこと。

簡単なインタビューかと思いきや、自転車通勤するところからのまさかの撮影。

こんな形でTVデビューとは。

まあ、日本で放送されないから、知り合いにああだ、こうだと言われる心配はない。

いつも通り振る舞えばよかったはずなのだけど、、。。

取材陣が来る2時間前から、校長の様子がおかしい。

朝から新調したというドレスからアオザイに着替え、化粧、髪型のセットを忙しくしている。

もちろん、取材されるのは私で、きっと校長もいくつかの質問を受けるだろう。

にしても、すごい準備に力を入れている。

とうの私はというと、ありのままを見せればいいと思っている。

日常をみせればいいと。だから、特にいつもと変わらず。。

 

まあ、私には、これ着ろ、ああしろという指示はないから、きっと自分さえよく映ればよいというのが、ベトナム人の考え方。

私は私。人にはあまり強要しない。

 

取材が始まった。

だが、これは日本でもよくあることなのかもしれないが、、

全ての進行は取材陣が行う。

いつもの日常とはかけ離れた映像が撮れた。笑

まるでドラマのような、こどもたちの反応のよい授業。

障害があっても幸せですよ。アピール。

外国人の先生と笑顔で塗り絵。

毎日の日常である、こどもの泣き声、教員の大声が響く日常は全くなかった。

あーものすごい違和感。

そんなことを考えてるもんだから、主役である私は全然調子が乗らなかった。

一通り、こども達との関わる映像が撮れると、個別のインタビューへ。

校長のインタビューから。緊張した様子で、私につい話してくれたようだ。

ベトナム語だから何を言っているかわからないが。

その後は私の取材。

外国人の取材。という主旨で来ているのに、まったくお構いなしでベトナム語で質問される。もちろんわかるはずがない。

何度聞き返しても、ゆっくり話したり、単語で話す様子もない。

配慮のないところ。これはベトナム

すかさず、同僚に通訳をお願いするが、質問内容がわかったところで、それに対する回答話すには、時間を要する。

いつもの会話の場合、相手の相鎚、言葉の反復、間違っていても相手は聞き流して理解しようとしてくれる、いわば、言葉のキャッチボールがされている状況である。

しかし、インタビューというのは、こちらがいくら話しても反応がないもんだから、私の拙いベトナム語が合っているのかどうか分からないし、いいたいこともまとまらない。しかも、発音が難しすぎて、取材陣は浮かない表情。

あーもう逃げたい。

何度も中断。

中断しても上手く言い直す自信はないし、何より自分の言葉で言いたかった。時折、こう言え、ああ言えと自分の知らないベトナム語を強要してくる取材陣や同僚。わけのわからない言葉をコピーして言ったって自分がわかってないんだもの、何も伝えられない。

だんだん悲しくなる。

自分が言いたいことはこんなつくられた言葉じゃないのだ。

むなしくなる。

誰も助けてくれない。急にやる気と自信がなくなり、放棄したくなった。

そんな様子を隣で見ていた校長(カウンターパート)が私に言った一言。

 

「あなたは話せるんだよ。うまく話そうとする必要はない。ただ、ゆっくり少しずつ。

ほら、夏の研修会で言ってたじゃない。あなたがJICAに参加することを決意した理由。途上国の旅行で、障害児に会ったんでしょ。あの話してあげなさいよ。

いつも、あなたのクラスの子はあなたに夢中じゃない。

それにほら、この前私に言ってたじゃない。あなたの感じる困難性。」

それは、私が普段何となく話してる話。決して伝わると思っていないけど、心で訴えていた日常のあれこれ。

その積み重ねが、カウンターパートにはちゃんと伝わっていた。私のこと、ものすごく見てくれて、知ってくれてた。

 

感動して。また泣きそうになる。もうインタビューどころじゃない。

このインタビューは、また日を改めて実施することに。私は、取材陣に伝えた。

私は外国人。インタビュー内容は前もって伝えてください。

そして質問をするなら、ゆっくりと。わかりやすい言葉で言ってください。私は外国人なのです。

 

と。そう。ここまでしないとこの国、いやフエの人は分からないのだ。

日本人であれば、言われなくても察するということができる。

でも、それは通用しない。このインタビューで学んだこと。

後日、語学学校の先生から聞いたのだが、

フエの人は外国人慣れしていない。考え方は自分重視であり、自分がこうなら相手もそうに違いない。という考え方。いわば考え方を変えにくい。

わかりやくす例えると、日本の昭和時代の父ちゃん。頑固おやじである。

 

なかなか、新しい考え、風習、トレンドを受け入れにくい。

 

言わなきゃわからない。

これは、ここに私が暮らし始めてから、よく感じること。

そして、そもそもの根本的な考え方が日本人とは違うのだ。

日本人は我慢をしがち。その状況を保つために。

しかしベトナム人は我慢をしない。

 

私は、思っていることをされけだすことは、苦手だった。

でもここに来てから、そうせざるを得ない状況が多すぎる。

いつも行くバインミーや。店の人はいくら仲良しでいつも同じものを選び、いつも辛くしないで。といっているのに、何度も通ったってそれを覚える気はない。

毎回、言わなきゃいけない。

 

外は大雨。どう考えても自転車で通勤するのは危険。

そんな時でも、なぜ自転車に乗れないのか、いちいち説明しなければいけない。

 

こういことを思い出していくと、ベトナム人が未来のこと、先の見通しをもつことが苦手なのがよくわかる。

今しか考えていない。

問題回避力が低い。

 

私は、先のことを考えすぎて、よく病む。

でも今だけのことを考えているときは、非常に楽で、心配性が軽減する。

だから、ここでは今を一番に考えているからこそ、こうやって居心地よく暮らしていけるのだ。