〜初の一人旅はタイへ〜 vol 5 まさかの流血事件
今回の旅を計画するにあたって、どうしても土曜か日曜日を入れたかった。というのも、タイでは土日限定のウィークエンドマーケットというものが開催される。
衣食住の全ての露店が出店されるビッグマーケットだ。
地元客も多く賑わうことで有名だと聞いていた。詳細は行ってみないとわからないが、きっと美味しい食べ物や記念のお土産などを買うチャンスだ。
ということで今日は日曜日。さっそくマーケットに向かってみよう。
最寄りのチャットチャットゥ駅?に到着。外に出るとすぐにマーケットで人が賑わっていた。
それぞれのエリアがジャンルごとに分かれているようでまるで迷路だ。一度通った道を再び戻ってこれる気がしない。店が隙間なく並び、道も行く先行く先に枝分かれしている。
すごい!これはすごい見ごたえがありそう
歩くとすぐさま店の店員らしき人が声をかけてくる。
「ハロー!你好!アニョハセヨ!こんにちは!」
店員は、私が日本人であると認識できないのでとりあえず、当てはまりそうな挨拶をしてくる。
そして日本語が聞こえると無意識に振り向いてしまう。私。
店員は「ニホンジン?オネエサン、ヤスイヨ。ナニカウ?」
すると隣の店の人も続けて
店員「コレカウ。カワイイ。ヤスイ」
もうとにかく少しでも興味があるそぶりを見せたら店員に取り込まれる。。。
初めて入った店でいきなり「ナニホシイ?」と言われても困る。
ただ見てるだけなのに。欲しいものなんてわからないよ。
せっかくかわいいとおもったものでさえも、店員のこの推し攻撃を浴びると一気に買う気が失せる。
あ〜せっかく買ってあげようと思ったのにな。
そうなると下手に意味もなく店に入るのがめんどくさくなる。
そう、ここで感じたこと。タイ人って
店に入る=買う気がある
物を手に取る=買う
いくら?と聞く=絶対買う
という感覚なのかな。それに例えばキーホルダとかの小物を一個だけ買うとする。
そうすると一個の値段は通常の5倍、6倍くらいする。
だから値下げしてと交渉する。すると、
5個買ったら1個の値段下げるよ。って。
だから買うときは、一個だけ買うと言うととことん損なのだ。代わりに大量買いをすればするほど価格は安くなる。
でも、一個でいい。自分のために買うお土産だから。こういうとき集団で来るとショッピングを楽しめるのかな。
それに、日本では値下げする文化はないし(大阪は違うのか)、欲しいものがあれば、商品には必ず値札もあり、お会計もスムーズだ。損とか得とか考えない。店員との会話だってしないのが普通だった。
ただ、ここタイでは、買うだけで一苦労だ。一つ買おうとすればコレもどう?あれもいいよ?と責め立てられ、買わないと答えると途端に冷たくなる。
なんだよ。お客と店員の関係性が全くない。
まあ。これが当たり前なのか。日本が異常なのよね。お客様〜とペコペコと作り笑いしている店員。
私には、タイのこの買い物は慣れないし、すごく疲れる。いつか慣れる日が来るのかな。
雑貨屋や衣服のお店は店舗はものすごく多いものの、売っている商品はどのお店もほとんど同じだ。むしろ、サイズや色がないと隣の店や友達らしき店にわざわざ聞きに行き、取りに行く始末。何だよ、店舗間のライバル意識はないのか、みんな和気あいあいとなんだか楽しそうだ。だから、買う側にとってはどのどのお店で買おうが品質や材料、デザインは同じ。
じゃあ、何が決めてで買うのか。
それは、店員との会話がどれだけ自分を満足させたかなんじゃないのかな。私の場合。
例えば、こんなことがあった。
私の方をニコニコといい笑顔で見ているおっちゃんがいた。
おっちゃんの店には、大きな木彫りの置物が売られていた。私はその商品にはもちろん興味がないし、素通りしようとした。しかし、おっちゃんはニコニコしながら、私に日本人はすばらしい。自分には日本人の友達がいる。と自分の話を嬉しそうに話していた。そのあと、家族の話などもしてきた。おっちゃんの英語は聞き取りにくく、ところどころタイ語?らしきものが混ざっていた。でも、話し方やその笑顔からは気の優しい、家族思いのお父さんが見えた。
私が一人旅だということを聞き、まるで自分の娘のように心配していた。
おっちゃんと話しただけで、今までの買い物トラブルや少し苛ついていた感情も一気にどうでもよくなり、むしろおっちゃんとの思い出に上書きされた。
何か、この心が温まった思い出を形として欲しくておっちゃんの店にあった小さな木彫りの置物を買うことにした。
それは、ホコリをかぶっていたし、塗装もハゲかかっていた。でも、私はこの店で買いたかった。おっちゃんは、これでいいのかい?と不思議そうにしていたが、私が買うといったら丁寧に置物を拭いて袋に包んでくれた。
値段や個数じゃない。
きっと日本に帰ったらこれを見て、おっちゃんのことを思い出すだろう。
私はここで思い出を買ったのだ。
一通り、雑貨、衣料、食品、家電等見て回り、だいぶ疲労が溜まってき来たので近くにあった公園で一休みすることに。
芝生の上に腰を下ろし、のんびりとぼーっとしていた。遊具で遊ぶ子どもたち。楽しそうにおしゃべりするカップル、世間話をしているであろうおばちゃん達。
なんとも穏やかで平和な時間が流れていた。
このゆったりとして時間の流れに身をまかせ、自分が今タイにいることが不思議でたまらない。少しは慣れた?のかな。
日本にいる友達や家族に会いたくなる気持ちはもちろんある。でも、孤独は感じない、困ったときはいろんな人が助けてくれたし、きっとこの先もそうであると思うから。
そんな安心感を感じたら一気に眠気が襲ってきて、そのまま芝生の上で眠ってしまった。
どのくらい眠ったのだろうか、あたりはもう暗くなっていた。
暑かったせいもあり、意外と疲れていたみたいだ。目を擦ると何やら違和感が。。。
ん?瞼が痛痒い感じだ。
というか重くて視界がぼやけてるな。
ふと携帯のカメラに映った自分の顔を見て、、、、?!?!
血?!?!
なんと私の額から血が流れているではないか!
あまりの恐怖と驚きに一瞬思考が停止する。
え?私寝ている間に誰かに殴られたのか?それともなにか盗まれた?
パズポート?お金?
ある。いや、こんな無防備に眠っていてある方がすごい。
え?でもなぜ血??
鏡を取り出してよく見てみる。
血は頭からではなく眉毛から流れたようだ。眉毛の一部が赤く腫れている。
これは虫にでも刺されたか?
ハチかな?デング熱とか?それとも未確認生物??
どうしよう?失明したら。
タイの病院なんて絶対行けないよ。
急に不安と恐怖がこみ上げてきた。
さっきまでものすごい安心感で満たされていたのに、束の間の居眠りのせいで一気に大逆転だ。
というか、冷静に考えてよくもまあ、こんな異国の地で堂々と女一人で居眠りできたものだ。しかも昼寝のレベルじゃない、もう夜だし、とうに3時間くらい寝てるわ。
自分で自分をつくづくやばいとさえ感じる。
とにかく、様子をみよう。どちらにせよ、あと2日で日本に帰るから、最悪病院は日本で行けばいい。
流血事件があったにもかかわらず、帰り道には魅力的な飲食店やらフルーツの露店が賑わい、目につくものはとにかく食べた。
それにしてもタイに来てからというもの食べ物は本当に美味しい。何を食べても大満足だ。
やっぱり、食べることが大好きな自分にとってこれはたまらない!
ゲストハウス に戻り、目のことが心配だったが、明日にはよくなることを願い就寝した。
深夜2時頃だろうか、外からものすごい激しい雨と風、雷の音で目が覚めた。
カーテンを開けてみると、アメリカ人の二人組みを起きて窓の外を見ていた。私も気になり、窓の方へ近くと、一人の女性が
「スコールよ。ものすごい雨だわ。」と話しかけてきた。
そっか、東南アジアではスコールって頻繁にあるんだっけ。昼間はあんなにいい天気だったのにな。
すると、またしてもアメリカ人の彼女が
「この子は私の娘なの。二人で旅をしているの」
え〜〜〜?!今、確かにdaughterって言ったよね?友達か姉妹かと思ってた。
まぢか。親子で旅か。なんかすごい、さすがアメリカ。
お母さんと二人でゲストハウス 泊まるってのもすごい。
そんなちょっとした会話があったからか、このスコールもさほど怖く感じなかった。一人ぼっちだったら結構参ってただろうな。人がいる空間って大事だな。
あ、そういえばごーちゃん似の子は。。。
げ?!寝息立てて寝てる。
すごいな、この音で起きないとか。笑
そういうとこも、やっぱりごーちゃんに似ている。
#女一人旅 #アジア
〜初の一人旅はタイへ〜vol 4
再びトゥクトゥクを走らせて次に向かったのは、行きたくなかったシルク屋。しぶしぶ店の中に入ると、ヨーロッパ系の白人家族が、私と同じようにトゥクトゥクのおっちゃんに連れてこられているようだった。店員はすかさず、その家族に話しかけ、商品を紹介している。
私が来たことに店員も気付いたようだが、明らかに私は見た目からしてお金なそうに見えたのか、こちらへ来ようともしない。
笑。ある意味ラッキー!そおっと気づかれないように店を出ると、トゥクトゥクのおっちゃんもニコニコして待っていた。
何も買わなかったけど特に何も気にしていないようだ。らくしょうらくしょう!
さて、お次はカオサン!
っと、、、、いきなりおっちゃん「FINISH~~~~」って。
え〜!?言ってたことと違うじゃん!30Bに値切ったと思ってたけど30Bで行けるのはここまでだったってことね。。。
まあここからカオサンまではすぐだと言うからいいか。
おっちゃんと別れを告げ、いよいよバックパッカーの聖地カオサンロードに着いた!
おお!これは事前に見たYou-tubeで見たのと同じ。見る限り体の大きな欧米人、体にタトゥーがあったり、露出度が高い人もいる。
そして、道はなかなか汚い。出店や人の多さに圧倒されながらも炎天下の中とにかく歩いた。
おなかすいたな〜そういえば、昨夜タイについてからというもの、まともに食べてないや。タイに来たんだからタイ料理を満喫したい!きれいめなレストランを見つけ、さっそく中へ。
パッタイにトムヤムくんにヨーグルトシェイクを注文!
かなり量が多かったけど味は絶品!おいしすぎる!体にしみる〜
お腹が満たされると幸福感で満たされてきた。あ〜来てよかった。
体力も回復したところで、ワットプランケオに行きますか!
そう、ここはタイでは有名なあの大きな大仏が横たわっている観光名所。
ここから歩けなくもない距離。もうトゥクトゥクとかタクシーとか交渉したりするのはいいや。ここは一番原始的であり、お金もかからず、ダイエットにもなるウォーキングで行きますか。
もともと歩くことは好きだ。
日本で生活してても一駅、二駅は普通に歩くし、休日はよく朝や夕方にウォーキングをする。
歩いていると体の先から先までモヤモヤしてるものが吹っ飛ぶ気がして、すがすがしくてスッキリする。ましては、自分が歩いたことがない道を新しく開拓するのはとてもワクワクするのだ。
友達といるとみな大体、電車やバス、タクシーを乗りたがるが私は断固としてウォーキング派。
まあ、それを許してくれる友達はなかなか少ないが。みな、初めはいいよというが私のウォーキングはだいたい30分以上。1時間、2時間も当たり前。だからみんなギブアップしてしまう。
そんなこんなでタイでウォーキングができることにテンションすら上がっていた。
歩いている人はほとんどいないし、道もかなり険しかったが30分程で到着。
暑さにやられ、休みながらも大きな大仏やいろいろな仏像も見れた。
気づけば夕方16時になっていた。
すごく充実した1日だった。夕飯を食べてゲストハウス にでも戻りますか。
昨日の一件から同室の人たちは何も話していないわけで仲良くなるなら今日しかない。。
ゲストハウス に戻ると、すでに部屋にはみんないるようだった。
部屋に入るなり、私はとびきりの笑顔をつくり「ハ〜〜〜イ!」と一言。
昨日のアメリカ人の2人は笑顔で返してくれた。そして、初めて会う中国人は、、、
「え?!?!?!ごーーーーちゃん???」
とっさに出てしまった。あれ?あなたは、ごーちゃんではないのかい?
ごーちゃんとは、私の職場の同期である同い年の女の子だ。
黒縁メガネに黒髪ロング。見た目はごーちゃんそっくりだった。
でもいやいや彼女は中国人って言ってたし、、、
そうこうと私が呆然としている間にも英語話してるやないかい!
でもいい笑顔だ。中国人って今までいい印象なかったけどこうやって旅で出会うと、それは単なる印象にすぎなくて、彼女の笑顔から滲み出る優しさからは、決して嫌な人だとは思えなかった。
あーなんかタイに来てまで大の仲良しのごーちゃん(中国版)と出会えるなんて神様は私にまたしてもエネルギー源を与えたな。。。
特に会話という会話はしなかったけど、お互いが直接顔を見合わせて笑顔を交わしただけで安心感というものはかなり高まる。
その晩は彼女たちの寝息さえ心地よく、ぐっすり眠ることができた。
〜初の一人旅はタイへ〜 vol 3
早朝6時起床。まだ自分がタイにいる現実を信じられないでいる。同じ部屋の人たちはまだ寝ているようだ。
物音を立てないように静かに準備をし、いざ出発!
そう、タイに来たらやると決めていたことがある。その一つを今日は実行しようと思う。
それは、「ワットポーでルーシーダットンヨガに参加する」というもの。
ワットポーという寺院で毎朝8時から30分間のヨガに似たルーシーダットンというものが行われているのだ。参加費は無料。参加者は現地の人が多く、先生が10個のポーズを教えてくれるらしい。せっかくだから、ヨガの後は、ワットポーを観光したり、タイ古式マッサージもしたい!!
そんな計画もひそかに立てていた。
ワットポーへの行き方は、持参した地球の歩き方に乗っていたが、行き方は色々だった。昨晩ジーンに聞いてみた情報によるとバスで向かうのがいいらしい。親切に地図まで書いてもらった。
って。これよくわからない。私の方向音痴が原因なのか、それともこの地図があまりにも簡略されているのか、、、
結局30分以上歩いてもこのバス停を見つけることができなかった。それに、道路で目にするバスはめっちゃローカルで古いのが見てわかる。外国人とか誰も乗ってないし。タイ語で行き先も伝えられないよ。
これでは、ヨガに間に合わなくなるので急遽、昨日の電車を降りた駅まで行き、電車とボートで行くルートに変更することに。
駅に着くと、荷物チェック、そして切符となるコインを購入する。ただ、札しか持ってないことに気づく。両替機らしいものもない。
あ〜どうしよう。これじゃ電車乗れないじゃん。みんな小銭は常に持ってるのかなぁ。
しばらく、うろうろ駅構内を歩き回っていると、突然正面から、日本語でお姉さんが声をかけてきた。
お姉さん「どうしたの?困ってる?」
私「え?あ、はい。日本人ですか!あ、えっと、実は小銭くずせなくて切符が買えないんです。」
お姉さん「あーそういうことか。チョット待ってて」
そういってお姉さんが駅員のいるカウンターに行き、小銭をくずしてくれるように交渉してくれた。
お姉さん「はい、どうぞ。どこまでいくの?」
私「あ、ありがとうございます。ワットポーです」
お姉さん「それなら、私が行く駅と同じだよ。一緒に行こう!」
えええええええ!!!なんというラッキーパーソン!!
まさか、ここで日本人に会えるなんて。しかも行き先まで一緒なんてすごい!こんな偶然あるのか。
人の優しさ、しかもそれが日本人だなんて。お姉さんは、英語が堪能でスタイルが良く、ファンションも私とは真逆。女性らしく、モデルっぽい感じ。
絶対に私の友達にはいないタイプだし、この先、こんな感じの人と話す機会もないと思う。
それに、この人からしても、私みたいなのと一緒にいるの嫌じゃないのかな。恥ずかしくないのかな。。。。
なんて逆に申し訳なくなってきた。
でも、お姉さんはそんなこと全く気にしていないようで、私のことよりも自分の話を無我夢中で話していた。
これから彼氏と会うらしい。旅慣れしていて、これまでいろんな旅をしてきたのだとか。
その話をするお姉さんはとても生き生きしていて、今まさにこの瞬間を楽しんでいるようだった。
自然体ってこういうことなのかな。
それに比べたら私の考えていることってネガティブで助けてもらったことを素直に受け入れられないし、相手の気持ちとか心情とか勝手に思い込んで被害妄想して落ち込む、、の繰り返しだって。
お姉さんみたいに、全て素直に受け入れて喜びを体全体で表せるような人って素敵だな。助けること、困っている人に声をかけることってすごく勇気がいることだけど、彼女はそれを当たり前のように私にしてくれた。
きっとこれまでも、そうやっていろんな国でいろんな人に優しくしてもらったから自然にできるんだろう。
そんなことを感じながら電車内で彼女といろいろな話をした。名前も年齢もどこに住んでいるのかもわからない。たまたまタイで会った人。でも私にとっては、忘れられない人になった。
駅に着いて別れ際に、彼女は言った。
「大学生だからこそ、できる旅だよね。楽しんで!!!」
・・・・・。いや大学生って。
まあ、そう見えたならそれでいっか。笑
お姉さんと別れて少し歩くとすぐにボート乗り場が見えてきた。
時計を見るとすでに8時になろうとしていた。あ〜間に合わないかも。
でもここで引き返すのも嫌だし、行くだけ行ってみよう!
ちょうどボートが出発しようとしているみたいだが、はたしてこのボートはワットポーまで行くのだろうか。。
行き先が書いていないかとキョロキョロしていると、私の側に立っていた外国人(アメリカっぽい)と目があった。驚いたことに彼女、、、というかおばあちゃんだった。背中にはおおきなリュックを背負ってバックパッカーのようだ。すごい、こんなおばあちゃんになっても一人旅を続けているなんて、旅に年齢制限なんてないんだな。
とても優しそうに微笑みかけてくれたので、このボートはどこに行くか聞いてみた。
すると、おばあちゃんはボートの運転手に聞いてくれ、これでいいのよ。と教えてくれた。
またしても優しい人に助けられた。
なんだか、まだ今日という1日が始まったばかりの朝だというのに、ものすごい冒険をしている気がする。落ち込んだり、焦ったり、笑ったり、安心したり、勇気出したり。
すごいや。そして、目的地にいくために私は確実に前進している。
ワットポーにはすぐ着いた。時刻は8:20。確か30分までだっけ?
急げーまだ間に合う!
ワットポーの中は人がほとんどいなくて、たくさんの金色に輝く塔や仏像があった。どこでヨガをやっているのか、走り回っていると10名ほどの人たちが列になって動いているなが見えた
いたーーーこれだ!
みんな先生らしき人の動きに合わせて、体全体を使って動きを合わせている。
呆然とその様子を見ていた。
思っていた以上に動きがハードで初心者である私が入ったところでついていけないだろう。
それに、なんとなく終わりそうな雰囲気だったのでとりあえず、傍観することに。
結局、お目当てのルーシーダットン参加という目的は果たせなかったけど、私はすでに大満足だった。
ここに来るまでの大冒険。それを味わえたのだから十分だ。
なんだか、そんな気持ちに浸っていたら、もっといろいろなことに挑戦してみようという気になってきた。
まずは、ここを観光。人も全然いないし、写真も取り放題、じっくり観光できる!ラッキー!!!
30分後。暑い、暑すぎる。休憩。
てか、そろそろ飽きたな。そういえば人も増えてきた。疲れた。もう歩きたくない。
すると、、、、目の前にはマッサージの文字が。
そしてその看板の前にめっちゃ笑顔のおばちゃんがこっちを見て手招きしている。
いつもだったら、客引きとかされると余計行かない、行ってやるもんか。となる。どうせぼったくるんだろ!って。
でも。あの笑顔。決して人を騙すような顔じゃない。
それに、あのおばちゃんにマッサージしてもらったら癒されるだろうな。
おばちゃん、まだ笑顔で手招きしてるよ。。。
はい、行きます。
値段聞いたら30分で240B(大体700円くらいか)
安いじゃん!
中に入ると、アロマのいい匂い!スタッフはみんなおばちゃん。すこしニホンゴも話せる!
たぶんおばちゃんたち、日本語も英語も最低限の単語しか知らないから、他のプランを勧めたり、何かを売り付けたりしてこない。
必要以上に会話もしてこないから、私にとっては最高な時間だった。
横向き、うつ伏せ、座位。日本のマッサージと違って指圧がメイン。じーっくり、いたーい、きもちー、いたーいの繰り返し。30分が至福の時間だった、こりゃいい。
最後にお茶までいただいてフィニッシュ!
気分最高でワットポーはおしまい!
次はどこへ行こうか。。
やっぱり旅と言ったらバックパッカーの聖地。カオサン通りに行きたいな。
とりあえず、そんな遠くなさそうだし歩くか!地図を見ながら方向を確認していると、優しそうなおっちゃんが片言の日本語と英語で話しかけてきた。
おっちゃん「コンニチワ。ドコイク? ディスイズ トゥクトゥク! 」
あーーーーー出たーー!
これ地球の歩き方に書いてあったぼったくりの客引きじゃん。
ほんとにいるんだー
たしか本によると、最初は仲良くなるためにニホンゴで話したり、身につけているものを褒めてきます。
そして行き先を知ると、その行き先に加えて5〜6箇所有名地やブランド店を回ってくれると言います。
最初に言われる値段は高値なので要注意!値切れたら交渉すると良い!
本に書いてある通りに、おっちゃんは私と仲良くなったと思ったのか、カオサン以外に寺、ワットブランケオ、シルクのお店を周ってあげると言い出した。
え?!シルクの店?いやいやお金ないって言ったじゃん!それにいかにも怪しい。
シルクの店は行きたくない!と断固拒絶したら、おっちゃん曰く、見るだけでいいんだ。おっちゃんも買わせる気はないらしい。外国人を店に連れて行くだけで、その店からガソリン代を貰えるらしいからおねがい!と。
まあ話してみると、そんなに悪い人でもなさそうだし、ここはまんまとおっちゃんにひっかかってやりますか!
私「おk!でいくらよ?」
おっちゃん「ここは特別に君はかわいいから40Bでいいよ」
正直、金額はどうでもよかったけど、値切れるものか試したくて
私「高すぎだよ!30Bでどう?」
おっちゃん「おk」
え!?!?そんな簡単に下がるんかい?!
あまりお金に貪欲じゃないんかな。
とりあえずこのおっちゃんとなら楽しそうだし、経験だ!それにトゥクトゥクという乗り物も初めてだし、まっいっか!!
トゥクトゥクはエアコンはないけど、両脇から風が入ってきてとても気持ちいい!
おっちゃんは運転に集中するどころか後ろを向いて私にいろいろ話しかけてきた!
とにかく、飽きさせない、嫌な気持ちにならない。
外国人である私。女である私。一人でいる私。
そんな私をなんの差別した目で見ることなく、ただ話したいから。
そんな単純な理由だけで関わっているようにすら感じた。
少し走ると、ガイドブックには乗っていない小さな寺院へ。
「ここで待ってるから見てきて。無料だから」と一言。
え?何時に出発?
そんなことを聞く前におっちゃんは私を降ろすなり、どこかへ行ってしまった。
え〜
こんあ小さな寺院。あんま興味ないし、見る限り10分くらいで見終わるよ。
それにおっちゃんどっか行っちゃたし、連絡先も知らないし、大丈夫かな?
まあ。とりあえず観光するか。
思った通り小さな寺院だった。
もう見るものない。座って待てるようなとこもない。
すると現地民らしき男の人が話しかけてきた。
どうやら英語を少し話せるのと、日本が好きだということを私に言いたかったようだ。
なんだか、嬉しい。たまたま訪れた小さな寺院。
行ってもどうせつまらない。見ても時間の無駄。そんなふうに思ってきたけど、楽しみ方は予想外だった。
人との出会いでここでの思い出ができた。
帰りは清々しかった。入り口付近にはおっちゃんが手を振って待っていた。
トゥクトゥク仲間と楽しそうにおしゃべりしている。
そっか。別に何分までに戻ってこいとか。何分以上ここにいなきゃいけないとか。そんな考えないんだ。
おっちゃんは、ただ私をここに連れてきたかった。ここにいる仲間と話したかった。
それだけ。
日本のように時間や待ち合わせに絶対はないのだ。
すきなだけ、いたらいい。自由に。
なんだか日本で過ごしてきた今までの日常がどんどん壊されていく感じ。
ここに来てから、
すべてが単純でゆるい。時間とかルールとか私を縛るものがない。
戻ってきた私に、遅いとか、早いとか、そんなことは言わずただ
「楽しかった?」っとニコ〜っと一言。
「うん、たのしかったよ」
日本だったら、せっかく連れてきてもらったから、あそこがよかったとかちょっとした感想を言うべきなのかもしれない。でも、私はそんな嘘の作られた感想をいうよりもただ一言の楽しかったでいいじゃん。って思った。だって自分がそう言いたいんだから。
~初の一人旅はタイへ〜 vol.2
次は、、、と。時間は夕方17時。やば。日が暮れる前に宿に行かなくては。
タイに行く直前、宿も現地で決めるスタイルで行こう!と、たかのさんの本通りに従うつもりだったが、到着時刻や空港からの移動などちゃんとできるか不安すぎたため、ゲストハウス を予約した。しかもオーナーは日本人らしい。ゲストハウス というのは、主に世界中から来た旅人が安く泊まれる場所。ホテルに比べて部屋はドミトリーといっていわゆる相部屋(場所によっては男女別もあり)、シャワーやトイレも共同、朝食や夕食などもつかない場合が多い。利点は様々な国の人たちとコミュニケーションがとれるということ。
ここで親しくなれれば、一緒に観光をしたり、ご飯を食べたりと旅の情報集にもなるし、友達が増えるきっかけにもなる。
例え一人で来ても、寂しさを忘れられるくらい旅が楽しく、最高の出会いの場になることまちがいないし。
たかのさんは、こういったゲストハウス で同じく日本から一人旅に来ていた人と出会ったり、宿のオーナーやスタッフと仲良くなって街を案内してもらったりしていた。
だから私がゲストハウス を選んだ理由は、とにかく外国の友達がほしい!たかのさんのように英語が話せなくても、きっとコミュニケーションはとれる!絶対友達作るぞ!なんてかなり期待は高めだった。
目的のゲストハウス まではおよそ電車を乗り継いで1時間程のところにあるようだ(事前調査のメモによると)
ただ電車の乗り方が日本とは違うみたい。
電車に乗る前には必ず荷物検査をする。でも、係員はなんとも適当でサッと鞄の中を見ただけでおっけー。これする意味あるのか?
そして券売機みたいなので行き先の駅のボタンを押すとコインが出てくる。それを改札にかざすとゲートが開きホームに行くことができた。
なんだ日本とそんなに変わらないじゃーん。駅はゴミひとつない。とても綺麗で乗車率もそんなに高くない。思っていた以上に近代化が進んでいる気がして想像していたTHE途上国感は今のとこない。
時間も定刻通りに出発だ。素晴らしい!
思ったよりもスムーズに移動でき、ゲストハウス の最寄り駅である「タイランド・カルチュラルセンター?」とかいう駅に着いた!
でもすでに外は真っ暗。怖すぎる。ここから徒歩10分という情報しかない。アホなことに駅からの地図忘れた。知っているのは宿の名前だけ。WIFIも使えないからgooglemapもタメじゃん。またしても訪れる危機。
ええい!こうなったらお金がかかってもいいや、宿に着いたらこっちのもんだ、機内モードon,
データローミング解除、と。google復活!これで宿の住所も方向も大丈夫でしょう。
歩くこと10分。
でも歩いても歩いても地図が反応しない。地元民しかいない通り。みんな私をじろじろ見る。電気がないから真っ暗。歩く道も舗装されてないし、道のあちらこちらで野良犬が寝転んでいる。今にも飛びついてきそうだよ。。
歩行者優先なんて意識ないんだろうな、車もバイクも容赦なくスピード出してるよ〜〜
頼りになるはずのgoogleでさえももうあてにならん!
と不安で泣きそうだったところに、、、、あれ?あれはもしや日本人?若くてきれいなお姉さんが私をじっと見ている。
ためらっている時間はない。普段だったら助けてほしい時、他人に直接ヘルプを求めたことなんて一度もない。ましては、ここはタイ。相手が本当に日本人なのか?どんな人なのか?信じられるのか?。。。全くわからない。
でも、今まさにこの瞬間は自分にとってピンチな状況に間違いないのだ。
勇気を出して一歩。彼女に近づき、話しかけてみた。
私「え、え、えくすきゅーずみー?あの、カミンバードホステルっていうゲストハウス 知っていますか?」
私は緊張と焦りと暑さで、身体中汗だくだく。その様子を見てお姉さんギョッとした表情。それとも、私の日本語通じてない?
すると、私が持っていた携帯をのぞいて住所を確認し、その後自分の携帯で検索してくれた。
お姉さん「う〜ん?この道をまっすぐ行って右に曲がる。でもそのあとは誰かに聞けば大丈夫よ。」
うわぁぁ。何この人!?めっちゃ親切じゃん。見ず知らずの私みたいな人に対してここまで親切にしてくれるのか。
人の親切や優しさってこんなにも私に安心感と勇気と安らぎを与えてくれるものか。
こんな感情になったのは生まれて初めてだった。この人に会うまでは不安と恐怖で押しつぶされそうで、もし宿たどり着けなかったら。そもそもこの宿存在してなかったら。なんて悪い方ばかり考えていた。
でも。一瞬で吹き飛んでしまった。大丈夫。ぜったい見つけられる。やってみせる!
お姉さんにお礼を言い、言われた通りに道を歩いてみた、ここを右に曲がった後人に聞くと。
でも人がいない。うろうろと彷徨いながら歩いていると食堂らしき一軒の建物が。そこの店員らしき太った姉ちゃんが立っていた。完全にタイ人。無表情で私の方を見ている。
コワイ。コワイ。
でもここまで来たら。。。行くしかない、。
私「カミン バード ホステル?」
恐る恐る聞いてみる。
すると、太っちょお姉さんが笑った。隣を指差している。
その先には、探し求めていた宿が!
おおおお!あっっっっっっったーーーーーー!神様仏様ありがとう!!!天は私を見捨てなかった!ありがとうありがとう。
この私の喜びっぷりに太っちょお姉さんも嬉しそうに笑っていた。
ごめんね。見かけだけで判断してしまって。
目的の宿に着くのがこんなに大変だとは。何はともあれ無傷で着いた。ものすごい達成感。
さあ、早く中に入ってオーナー日本人らしいし、いろいろ話したい。。。
気付いたら時間は20:30。もっと夜中かと思ってたらまだこの時間なのね。
ドアを開けるとそこには、黒縁メガネをかけたロン毛の若めの男の子が笑顔で私をみるなり、、一言。
「サユリチャンネ」
私「はい、そうです。うわぁぁよかった!初の一人旅なんですよ。ここまで来るのにほんとに大変で携帯使えないし、言葉通じないし、暗いし、コワイし。。。もうどうなっちゃうかと思いましたよ〜」
「・・・・・・・・・。ゴメンネ ニホンゴ チョットダケ」
え〜〜?!?!日本人じゃないんかーい!気を許しすぎて安心感からか、マシンガントークのように話していた自分が急に恥ずかしくなった。
まぁいいか。少しだけでもニホンゴが話せるだけでもありがたいと思わなきゃ。
一通り部屋の案内や使い方を案内してもらった。1〜4階まであるみたい。階によって男性と女性と別れているようだった。ただ不思議なことは、人の気配が全くしないこと。誰も宿泊していないのか?それとも、みんなすでに仲良くなって集団でどこか遊びに行ってしまったのだろうか。。。
でも私の英語力では、どう聞いたらよいかわからず、ひとまず自分の部屋に行くことにした。
部屋には2つの2段ベッドが置いてあった。それぞれのベッドにはコンセントとカーテンがついており、プライバシーは最低限守られるようになっていた。それにしても、干しっぱなしの下着、衣服や私物がベッドにドカッと置いたまま、床もかなり荷物で溢れている。すごい生活感丸出しだ。そういえば、あのスタッフのロンゲくん。アメリカ人2人と中国人1人が泊まってるって言ってたな。
あきらかにこの荷物の量5人分くらいの気がするけど・・。
なんか会ったこともない人のお家に上がりこんでる感じ。部屋には私しかいないはずだし、カーテン閉めちゃえば完全に周りの様子は見えないけれど、ぜんぜん落ち着かない。
少しの物音が聞こえるだけで、ビクッとし、帰ってきたのかな?会ってなんて話せばいいのかな?なんていろいろ妄想し出したら、そわそわがとまらない。ネットももう使えるはずだけど、何を調べたら、これからどうするか、よく分からなくなってきた。
とりあえず近くにコンビニがあるはずだから、そこまで行ってみるか。
水とティッシュを買って宿に戻ると、まだ誰も戻ってきていないみたい。
ロンゲくんが座っていた。名前はジーン?というらしい。
日本語はほとんど話せないらしい。私も英語に自信はないけど知っている単語で質問してみる。質問はできても答えてくれる英語の意味は理解できない。
だから会話がすぐ終わる。
その繰り返し。無言の時間。
私はこういう空気や会話が続かなくなってお互い気まずいなと思う時間が一番苦手だ。日本語であれば特に興味がない話題でも一応一通り相手に合わせて話ができるけど、言葉が分からないから自分にとっての逃げ道?的なことができない。
私には笑顔とジャスチャーの武器しかない。
あ〜どうしよう。
あれ?でもなんか変だ。こんな状況でも全く苦に感じないし、この状況がストレスでもない。なんだろう、この感じ。自分のペースでいられる空気感。
初めて会った人。国籍もちがう。言葉も分からない。でもまるで空気のように威圧感を与えない感じ。なんだか心地よかった。そうしてるとこれまでの疲れがドット押し寄せてきたので部屋に戻るとすぐさま眠りに落ちてしまった。
どれくらい眠ったのだろう。カーテンの外から英語が聞こえる。あれ?私どこにいるんだ?
と寝ぼけながらカーテンを開けてみる。
すると目の前には私より年上っぽいお姉さんともう一人若めの子のアメリカ人?が!!
咄嗟にでたのは「ハローよろしくおねがいします」
?!やば。寝ぼけてニホンゴで挨拶しちゃったよ。
2人組の彼女たちはニコッと微笑んで「HI」と返してくれた。
あまりの恥ずかしさで微笑みながらカーテンを閉めてしまった。
ギャー。初めましてだというのに。最初が肝心なのではないか。それにしても生で初めて見たアメリカ人!めっちゃきれい!
えええい!さっきの失態は忘れろ。もう寝る!と再び夢の中へ。
たぶん22:30ゴロだったと思う。就寝。すると先ほどのアメリカさんが電気を消してくれた、心の中でサンキューと言った。。
夜中ふと目が覚めた。そおっとカーテンを開けると、みんなの寝息が聞こえた。
顔も知らない。たまたま偶然ここで泊まっただけ。
見ず知らず外国人がこの布の向こうで寝てる。変なの。
いきなり襲われても、自分を守るものなんて何もない。無防備。身一つ。相手を信用できるものなんて何もないのだ。
なんて刺激的でスリリングなのだろう。こんなこと日本にいたら絶対経験できないだろうな。
これがドキドキ、ワクワクを交互に感じながら眠る初海外の夜だった。
一人旅#①〜初の一人旅はタイへ〜 vol 1
たかのさんの本を読んで得た情報によると、、、
航空券はとにかく安いものを買う。
まずはタイ行きの航空券。航空券の買い方も、飛行機の乗り方も知らない。ネットで調べてみても、値段はかなり違う。所要時間、乗り継ぎ、航空会社、、
未知の世界すぎる。
情報量が多すぎる。そして、ネットとか図書館の本でとにかく調べまくった。
結果、、不安すぎる〜〜
やっぱり、最低限の英語って必要なんじゃん!
空港でも英語で質問されたら?機内で話しかけられたら?タイ着いたあとホテルまで言葉なしでどうコミュニケーションとるんだよー?!
携帯だってネットつながらないし、英語の翻訳アプリ、グーグルも使えない(当時はオフラインという機能がなかったのか、知らなかったのか・・)
考えれば考えるほど悩みは増える。
それでも私の中で「行かない」という選択肢はなかった。
そして、この旅に行くことは誰にも言わずに行こうと決めていた。家族、友達、同僚。だれにも言わない。って。
気持ちでは、ふら〜っと東京遊び行ってくるね〜的な気持ちでね。
その方が自分も変に負荷をかけずに行けると思った。
結局、安い航空券はLCCということになるのだが、おそらく自分の性格上初の一人旅、何としても行ってよかったと思える旅にしたかったし、極度の不安をタイにいく前から抱えることはあまりにも行く気になれない。わざわざ自分にこんな修行というか試練を与える必要もないな、どうせタイに着いちゃえば嫌ってほど不安や恐怖を感じるのだろうから、せめて飛行機くらいは贅沢に行くか、、なんて開き直り。
日本が誇るおもてなしNO1のJALで行くことに。
まあ、いいのさ。たかのさんの意見はあくまでも参考なのだから。
日程は、年の終わり12月26日〜30日。年内に行ってぎりぎり年越しは日本でする、というなんとも微妙な日程。
なぜこの日程にしたかというと、初の一人旅を成し遂げた後には、楽しい楽しいお正月が始まり、気分は最高!そこで家族や友人に旅の話をできるではないか。苦難?を乗り越えた後の楽しみ?的な。
てなわけで、こういう心情の変化から読み取れるのは、、この旅を修行、とか試練とか。なんかそんな風に捉えてたんだと思う。行ってからは、観光、グルメ、、、そんな楽しいことが待ってるのに。そう。誰かと一緒ならそう思うのよ、でも今回は一人。
日本にいたら一人でいることなんて普通。むしろ一人が好きだ。
助けてなんて言わなくても何とでもなる世界。それは自分が日本語を話せて、社会のルールとかシステムを知ってるから。土地かんや現在地、食べ物、日用品なんでも簡単に手に入れることができるから。生活するのに、誰の助けもいらない。必要な言葉だけ使えば生活できる世界。
そんな当たり前の世界から抜け出してみたら自分はどうなるんだろう。
私は私自身のことをダメな自分だと思っていた。良いところ、優っているところそんなところはない。欠点や短所ばかり目について。ネガティブで自分に自信がなかった。
この旅で、今まで知らなかった自分が発見できるかも。その時、自分を見直した!すごいじゃんって思たら、それって自分を好きになる一歩かもって。そんな期待も心のどこかにあった。
これからタイに行って出会う人はみんな私を知らない。
私の外見、性格、経歴、、、何も知らないから、私も今までの自分は捨てる。本能で生きる。やりたいこと、食べたいもの、関わりたい人、自分の欲望のままに決める。そんな時間を過ごしたい。
よし、肩の力を抜いて〜
行ってこようではないか。
タイに行って帰ってきた後の自分が楽しみだ。
いよいよ出発の時。
決めていた、荷物は最低限でいい。
替えの下着とTシャツ。すぐ乾いて動きやすいズボン。(服はお洒落は必要ない。動きやすさと速乾性重視。旅慣れ感と現地民に馴染むように)その他、洗剤、シャンプー、リンス、コンタクトレンズ(水の衛生面が心配でワンデイにした)、モバイルバッテリー、カメラ、速乾タオル、もしもの時の正露丸、化粧品は、、いっか。(完全に女捨ててるw)
以上。登山用リュックにおさまった。これなら、手荷物として持っていけるから預けなくて済む。身軽な状態で移動できる。
当時、私は都内で一人暮らしをしていた。出発の便は夜中。空港までは電車で行くため、最寄りの駅まで25分歩いて行った。普段こんな夜遅くひとりで歩いたりしない。
私は夜が嫌いだ。お日様が出ているうちは全身の力がみなぎって、気持ちも晴れやかでついつい外でジョギングや散歩をしたくなるほどだ。ただ日が沈み、お日様が見えなくなるとなんとなく気持ちが落ち込むのだ。夜は寂しい。完全に朝方の私は夜は特に何もすることがなく、22時には就寝してしまう。
そんな生活スタイルで22時に家を出てこれから空港へ行き、初めての搭乗手続きをし、飛行機に乗ってタイに行く。
明日の今頃には間違いなくタイにいるのだ。
なんだか、これから活動開始なんて体内時計狂うだろうな。なんて思いながら、家を出るのであった。
そういえばたかのさん言ってたな。
旅に出るときは部屋を汚い状態にしておいたままの方が良いと。
旅は何が起きるかわからない。これは命がけである。無知の世界でどんなトラブルに巻き込まれるかわからない。もしかしたら帰って来れないかもしれない。
そんな超ピンチな状況に陥った時、きっと「思い残したこと」があるかないかが重要になってくる。私がいなくなったら、一人暮らしのあの家はどうなる。きっといろんな人が私の部屋を出入りするだろう。見られたくないものも沢山ある。
それは嫌だ。何としてもあの部屋だけは誰にも見られたくない。
そう思って部屋は汚い状態にしておけば、何としてでも帰国するのだという根性が生まれる。
よし、その手だ、洗濯物や布団や食糧などそのままにして家を出ることにした。
空港に着くと気分はすでに海外気分だ。日本にいるのに、多くの外国人、子供がいる。まるで異世界。ここまで来るのに、電車の中でいろいろ考えすぎて不安はかなり高まっていた。何度も飛行機の乗り方をチェックしたり。
それにしても、ちょっとよくわからなかったことが。どのサイトを見ても「出発時間の2〜3時間前には必ずチェックインをすること」
う〜ん?なぜそんな前に行かなきゃ行けないんだ?そっか、これは荷物を沢山預ける人は時間がかかるからその人たちに向けた注意喚起かな。
私はと言うと、預ける予定ないし、きっとすぐにチェックイン終わるだろう、てかチェックインってなんだよ。
わけわからない、まあここは日本だし。航空会社もJALだし、かなり余裕をもって書いてるんだろうな。
なんて呑気に勝手に自分で想像して納得して空港に着いたのは出発時間のぴったり2時間前だった。
年末の時期ともあってかかなり混雑している。初めての国際線。羽田空港とはいえ、かなり広いぞ、便名、行先をチェックし、お!あったあった。
って、なんかチェクインするにはEチケットを提示する必要があるとか。(今となっては当たり前)でも、それすら知らない私。航空券はネットで予約したし、パスポート見せればいいと思ってた。でも前に並んでいる人たちみんな印刷した紙持ってんじゃん!?
え!!!印刷って。私してない。そもそもEチケットどこよ?!
もうパニック?!ここまで来て飛行機乗れないとか絶対嫌だ。とにかく落ち着いて落ち着いて。
なんとかEチケットを見つけ出し、コンビニのコピー機で印刷。
こういう時、ピンチな時であれば普通、近くの職員さんに聞いたらすぐ教えてくれる。でも私にはそれができない。いつもそうだ。確実に聞いた方が早いし、情報だって確実なのにそれができないのだ。昔から。自分が無知だということを相手に知られたくないのと、聞いた後の相手の反応や表情、リアクションを見て自分自身が嫌な思いをしたくない。そんな思いをするくらいなら自分なりに調べて自己解決した方がよっぽど早いって。そう思ってきたから、今回もそうした。
なんとかEチケットを手に入れたが、果たして時間は間に合うのか。再びチェックインカウンターに向かうと先ほどよりも長蛇の列になっていた。
嘘でしょ。これってまさかの時間オーバー?
と落胆していると、カウンターの脇に「スマートチェックイン」と書いてある機械が数台並んで設置されている。
しかも数名しか並んでおらず、チケットらしきものが発券されているようだ。
試しにその機械で自分のEチケットの番号を入力してみた。すると、なんとも一瞬でチェックイン完了の文字が。
あ。できた。
このまま手荷物検査へ。って。
嘘?!まぢか。神様仏様!!まさにこの旅は私に味方したのだ。やっぱり行けってことなのね!!
落胆からの生還!この調子で急に自信とパワーがみなぎってきた。
最高!!不安でいっぱいだったずが、急に背中を押されたかのように背筋がピンと伸びて前を向いて歩いている自分がいる。
もう怖がるものなんて何もない。第一関門突破や!
待ってろ。タイ!!!
手荷物検査、出国審査もすんなり突破。
あとは搭乗ゲートに行くだけ!搭乗ゲートまでの道はたくさんのお土産や、免税店、飲食店が私を魅了していた。そういえば、家出てから何も食べてないや。
機内食が出るだろうし、食べるのは我慢しよう。
まあ、これだけ広くていろんなお店があったり、休憩スペース、充電できる場所があれば出発の3時間前むしろもっとはやく来てもいいかもしれない。
次の旅はもっと楽しくなるはずだ。
いよいよ搭乗時間。席は窓側!ラッキー。そして目の前のスクリーンでは映画見放題(最新作も多く、種類も豊富だ)これなら、6時間のフライトもへっちゃら眠れなくてもなんとかなりそうだ。
待ちに待った機内食も美味しかった!ビールも飲めてさらにデザートはハーゲンダッツ。なんだいこの豪華さ。初の一人旅ずいぶんと気前の良い旅になったよ。
そんなテンションを上げてくれるおもてなしだったけどふと窓の外を見ると機体は雲の上。
あー飛んじゃった。これでもう日本の地から離れたのだ。電車やバスみたいにやっぱり帰ろうといって途中で降りて帰ることは無理。
これから4日間大丈夫かな。無事に日本に帰って来れますように。不安は消えることがなかった。
ようやく機内のアナウンスとともに、着陸をすることが伝えられた。遠く海を渡り、ようやく着いたのだ。タイ、バンコク、スワンナプーム空港。
機体から外に出ると、日本の体の芯まで凍えるような寒さだった感覚から一気にじわ〜っと猛烈な暑さと日差しが私を直撃した。
よく聞く異国の匂いというものを期待していたが、そこまで感じない。
ただ、見渡してみたところ日本人らしき人はいない。。。一人旅らしき人もいない。。。
何はともあれまずは、両替をしなくては。
これも、空港ですると損だとか、レートを見るべき、行列のある両替所にするべき。。とかネットで調べたが、結局何が損とか得とか全く分からない。そうも昔から円高円安とかそう言ったたぐいのジャンルは苦手である。
まあ、これも経験か。一度失敗して覚えるものだ、と開き直り目の前にある両替所へ。
日本円で25000円分両替した。人前で話す英語は初めてだ。
私「エクスキューズミー。エクスチェンジプリーズ」
タイ人のお姉さん「〜〜〜〜〜〜〜〜」
私「????????」
はい。理解不能。とりあえずお金見せて日本円であることを確認してもらってあとは、タイバーツを渡された。これが得か損かはわからない。
とにかくバーツってものすごい札の束なんだな。
枚数確認してと。こんな分厚い札持ち運ぶなんてなんか大金持ちになった気分だ。
よし、これでお金は大丈夫。
たかのてるこさんに憧れて
小さい頃は、人を笑わせることが好きでお笑い芸人になりたかった。テレビでお笑い芸人のコントやバラエティ番組を見ても、自分のが面白いと自信を持っていた。
でも中学生、高校生と大人に近づくにつれ、世の中のネタになるような面白いことも真面目に捉えるようになった。人にどう見られているか、人と比べ自分は、、といつもそんなことばかり考え、目立ちたいけど目立たないように、恥をかかないように必死にかつ神経質に毎日過ごしていた。
大学を卒業し、夢だった教師の道へ進んだ。教師になったら、こんなことしたい!こんな先生になりたい!夢と希望に溢れた人生を送れると期待していた。
でも現実は違った。
ピラミッド型の社会。トップの言うことは絶対だ。人は常に群れたがる。孤立しないように、足並みを揃えるのに夢中で、いつだって現実と向き合おうとしない。理論付けたり、自分の知っている知識や技術を全面に押しつけ、相手を全く理解しようとしない。
そう誰もが心の中でおかしいと感じているはずなのに。みんな心のうちに秘めて、誰も立ち向かおうとしない現実。
社会人なりたてだった頃の自分は、そんな社会の違和感と暗黙のルールと絶望と少しの期待を目の当たりにして毎日過ごしていた。
自分が理想としていたキラキラしているものなんてなかったのだ。
それでも、私は小さな希望を信じていた。
特別支援学校という、障害のある子供たちが通う学校。学校社会というか、教員社会という小さいけれど人間関係だけで成り立つこの職業。常に人がいて、一人ではできない仕事。毎日同じクラスの先生と一緒に過ごす日々、家族よりも長い時間共に過ごしているのに、信頼関係や相手理解なんてほとんどできない。見えない壁や闇を抱えて、相手の感情や心理を読み取りながら生徒を支援、教育していく。
子供が中心なのに。子供の支援を一番に考えなくてはいけないのに。
いつからか、私の中で保護者、同僚との人間関係を重要視するようになっていた。
自分の意思や考えを言うためには、絶対的な根拠、成果が必要だと無意識のうちに洗脳され、口に出すことさえ怖かった。
保護者の言うことに従い、若手・独身という社会的に弱い立場を利用して、周りは私を見えないロープで縛り付けていた。
苦しくて余裕のない日々だった。私は要領も悪いし、理論的とか説得力をもって話したり、文章におこすことが苦手だ。どちらかというと、本能で動きたいし、考えるより動いてしまうタイプだ。
それは、この社会では通用しなかった。
そうやって周りに合わせて、逸脱しないように、必死で社会人として窮屈な日々を送って2年が経過した。
たまたま手に取った本。題名には「ガンジス川でバタフライ」と書いてあった。旅行や海外に興味があったわけではない。たんなる暇つぶしになるかなと思って買った。
これがわたしのたかのてるこさんに夢中になったきっかけでもある。
本に書かれているたかのさん本人の性格はどこか私と似ていて共感することが多かった。
彼女の度胸とか決意とか、本の中から伝わる様々な感情表現がとても気持ちよく書かれていて、夢中になって読んだ。
彼女の文は、私が心の中で思っていたり、無意識に感じ取っていることをそのまま言葉にして表現していた。そして、彼女の文の中で最も私に影響力を与えた言葉がある。
それは、
私が人に旅をオススメする最大の理由は、一人旅にでたことで、「自分自身を受け入れられるようになったから」に尽きます。旅に出る前の私は、自分というものに自信が持てず、人と自分を比べてばかりいて、どうにもこうにも情けない人間だった・・・・
まさに、この時の自分には希望の光となる言葉だった。
これがのちに自分を変えるきっかけとなり、現在の自分を作り上げているのだ。
この時からの私の行動や考え方は彼女の本に書かれている文が大きく影響しており、それらの私の心に突き刺さった言葉や文をこのブログで紹介していきたい。
当時25歳だった私は、海外旅行といえるような旅には一度も行ったことがなかった。
もちろん外国人の友達どころか知り合いさえいない、英語に関しては中学の時にぎりぎりで合格した英検3級。海外に大した興味もないため、映画や音楽もほとんど知らない。
そんな海外と無縁に近い人生を送っていた。
でも、この本を読み進めるうちに、たかのさんを自分と重ね合わせ、たかのさんをリスペクトする気持ちが芽生えてきた。
なんとかして、自分を変えたかった。自分の限界を知りたかった。自分の価値を見出し、自分のためにわがままに生きてみたかった 。
そんなこんなで、たかのさんの本を読み終わる頃には自分も海外へ行くことを決意したのだ。もちろん一人で。
最初に選んだ国は、、、
たかのさんと同じく香港と言いたかったが、どうも香港。といってもあまりピンとこないというか、テンションが上がらなかった。となると頼りになるのはネット。
「一人旅 女 海外 安全」で調べ、情報収集。同世代女性のブログなども読んで、一番多くて一番良かった!の言葉が多かった国、、、、「タイ」に行くことに。
ということで、これからのブログはしばらく私の一人旅奮闘記シリーズを書いていくこととする。
それでは、わたしの波乱万丈一人旅のはじまりはじまり〜〜〜
ステイホームの時間の中で。
自宅生活を続けてもうすぐ1ヶ月が経とうとしている。
毎日、コロナ感染者数は増え、状況は決して良くなっているとは言えない。
テレビをつければ毎日、情報が多すぎて、それでいて政府や行政の批判ばかり言うメディアや国民。
どちらの肩を持ったところでまた誰かの批判を買い、結局人の悪いところを突っついてはおもしろがっているように聞こえる。
「素直に聞き入れる」
権力のある人の言うことを信じてその通りにすればいい話。単純で子供でもできること。
そんな簡単なことを、複雑にかき回し、結局私たち自身を苦しめていることにただただ幻滅する日々。
ベトナムといつも比べてしまう。
もしかして、ちゃんと向き合えていないのは私なのかも。と思えたりする。
そんなことを考え出したら、自分ってなんだろうって。いろいろと過去を振り返ってみることにした。
前から整理したかった事柄。きっと自分が経験してきたことって、面白いことなのかも。
友達によく自分の話を聞くと、だいたいみんな興味をもって聞いてくれる。それは、あまりにも常識外れの行動や経験だから。クレイジーというのがあてはまるのか。。。
よくわからないが、なんとなく自分自身を振り返るためにも、記録として残してみよう。
せっかくこれだけの時間があるのだから。
#ステイホーム
#一時帰国
思い出すのは。。。
日本への一時撤退指令が出てから2週間の自宅隔離生活。
完全隔離は無理だけど、自分ができることはやる。
日本にいる。
なんて便利な生活なのだろう。部屋の中には虫一匹いない。
常にきれいで掃除された空間。
ご飯の準備も一瞬でできる。市場で品物を選んで買うこともない。おいしいものが常にあり、好きな時にいつでも食べられる。
ネットが切れることも、停電もない。
トイレがきれい。紙が流せる。湯船につかれる。飲める水がすぐそこにある。
テレビ番組が多い。無料動画もある。
時間なんて気にせず、、暇つぶしの方法なんていくらでもある環境。
快適で最高な生活に間違いない。
はずなんだけど、、、、ちがう。
私はこの生活に満足していないんだ。
思い出すのは、フエのみんなと過ごした時間や風景
もっとも人間らしく、感情的で、近くて、温かくて、、、
私の感情をいつも大きく揺らしてくるあの人たちがとても恋しいのだ。
私はいつも彼女たちの強引さと世話好きというなのおせっかいのアタックを真正面から受けて生活してきた。
いつも自分の意思を言う前に彼女たちが決め、私をこういう人間に作り上げてきたのだ。
私は超頑固人間。こだわりが強く、自分が納得しないと受け入れられない性格だった。
でも、協力隊として派遣される2年は全てを受け入れて、とことんフエ人になってやるんだと心に決めてきた。
食事中は、自分で選んでおかずを食べることをしなかった。彼女たちが気が済むまで私のお茶碗に何倍もご飯をよそり、おかずものせ、スープ、デザート、、、
出されたものは拒まず、食べ続けた。
自転車の乗り方、誕生日の祝い方、買い物、スマホ、、、、とにかく彼女たちと同じようにまねて1年過ごしてきたのだ。
日本と比べず、ただただこれが一番良いのだ、と思って受け入れてきた。
身より骨のが多い魚。
脂と噛みきれない程の硬い骨付き肉。
塩と唐辛子をつけてたべるフルーツ。
ゴミは床に落とすルール
2時間のお昼寝
隣に密着して座るスタイル
コンデンスミルクたっぷりのコーヒー
砂糖たっぷりのジュース
どんな高級できれいな料理よりもこの野性的で人間らしい食事や生活。生き方そのものが愛おしく、わたしの体が求めている。
日本で何食べたいと言われても、わからないのだ。
一人で食べる食事は寂しくて。
距離をあけて座ることに違和感を感じ、
相手の悪いところばかりを指摘するメディアやマスコミ、視聴者すべてのことが嫌だ。
コロナでわかるベトナムと日本の違い
はやくこの国から逃げたい。日本人である自分が自国が嫌いというのは、ちょっと困った話だが、ここは自分の居場所ではないのだと確信できた。
自分にとっての快の感情とは、本能のまま生きられる場所で生きること。
常に誰かが一緒で寄り添って、触れて、笑っていられる空間にいること。
お金や便利やものなんて、私にとっては重要でない。
人。隣にいてくれる人さえいれば、それが私の幸せなのだと気付いた。
早くあの場所へ帰りたい。
私のもうひとつの家。家族。
コロナという嫌なやつ
テト正月が終わり、新学期が始まった頃。
ベトナムで初のコロナ患者発生というニュースが1月下旬に流れた。
患者数は数名だったが、この時、国は混乱状態だった。
政府の判断はとても早く、翌週から保育園、小学校、中学校、高校、大学と全ての教育機関は休校との通達が入った。
それに対して、すぐに対応できるベトナム人にも驚いた。
街中の至る所で消毒が撒かれた。
空港や国境では、検疫が徹底された。
この迅速かつ徹底された動きにより、感染拡大は防がれ2月上旬頃には、10名近くいた感染者が全員完治。その後新たな感染者は増えていなかった。
判断が早く、迷いがない。
常に国民に最新がいくようにTV,FBで情報が更新され続けた。
国民が協力し、励まし合っている。
毎週金曜日には、フエの人民委員会で会議されて決定したことが通達文によって国民に知らせられる。
1週間休校延長。
他の省の動きを見て判断しているようにも思われる。
例え感染地域からかなり離れていても。どの省も大きく外れた判断はしない。
翌週金曜、さらに休校延長。
そして翌週も。。
高校や大学では、授業再開も見られいよいよ3月から学校再開なはずだった。。
そんな時、ベトナム新たなコロナ感染者発生のニュースが。
誰もが安心していた。この国は守られたと。
でも、やはりそうはいかなかった。
この感染者一人を起にどんどん感染者は増え続けた。同じ機内にいた人、CA、家族、、、、。
それに負けじと政府は徹底した隔離措置。
中にはフエでの感染者もいた。
フエ市内では、物の買い占めがおきた。
店はクローズされ、昨日まで賑やかだった街が一瞬でゴースト化した。感染者がいたホテル、飲食店は毎日、消毒作業が行われた。
その様子はFBで数時間おきに報道された。
現地の人は不安で騒いでいた。一人増える度に、大騒ぎだ。
まるでこの世の終わりかのように。
私からしたら、あまりにもそれが異常な光景で理解できなかった。
しかし、毎日一緒にいる同僚がここまで騒ぐのには理由があったのだ。
それは、医療問題だった。
ここフエ の人々の考えはこうだ。
この地域の人々は病院に行きたがらない。
現に私も病院受診をしたことがあるが、医師の医療技術や薬、診察はかなりレベルが低いのだ。
もちろん医師が処方すれば、それに従うが必ずしもそれが完治につながるとは限らない。
それは、フエの人々も周知しているのだ。
だから、高い医療費を払ってまで病院にいかない。
怖い思いをしたくない。
大きな病気にかかることは死を意味するくらい怖いのだ。
そんな恐怖や不安を抱えている。
だからコロナという謎の感染症がとても怖い。
そして待っているのは隔離生活。
一人でいることに慣れていない人々。
何をするにも誰かと一緒。そんな依存度の高い国民性を持つ彼らが隔離生活という孤独の生活になることの恐怖。これもまた想像以上の不安を煽るのだ。
なんとなく、いろいろ理解できたことも多い。
コロナという悪いやつのおかげ?で私は毎日いろいろな情報や彼らの行動、考えを知ることができる。
生徒のいない学校、
毎日教員だけの日々。不安だった。子供がいればそれだけで私は孤独を感じないから。言葉の壁をあまり感じないから。
でも。これからしばらく大人だけの空間で過ごす。あるいみ試練。
でも、そんな私の不安とは逆に今まで以上の信頼関係を築けた自信がある。
コロナに少し感謝もある。のが事実。
日本へ一時帰国した時の話
ベトナムでの生活が約1年経った頃、日本へ一時帰国した。2年間帰るまいと思っていたが、思わぬ病気や物資調達も兼ねてやはり帰国を選んだ。正直、帰ることに不安はあった。帰ったあと、妙な喪失感とかベトナムに戻りたくない気持ちが沸いたら、、なんて恐怖もあったのだ。
ただそんな私の不安とは大きく違う結果となった。
これまでベトナム国内旅行は何度も行った。しかし必ずと言っていいほどフエの良さを改めて気づき、すぐに帰りたくなる。
ベトナム人の同僚からのメールですぐに彼女たちに会いたくなるのは言うまでもない。
とにかく、自分が思っている以上にフエが居心地よく、安心するのだ。フエに住んでいて人との関わりの中で嫌な思いをしたことがない。いつだってフエの人々は私を満足させてくれるのだ。
だが、母国となれば日本の良さを目のあたりにし、今生活するベトナムでの環境に再び戻れるのか、、。
私の性格上、我慢は自分を苦しめることになる。
日本に降り立って衝撃的だったのは、私と周囲の友達や家族の時間の流れがあまりにも違うことだった。
私にとっては、1年前の日本とは大きく変わっていたのだ。
まずは人。まるでロボットのように同じ動きをして流れるように歩く人々。歩くペース。表情。服装。なんだか、みんな同じにみえた。
これは、日本人の根底にある「人に迷惑かけないように」という無意識のうちに洗脳されている考えから、自然と列を作り、等間隔にきれいに並ぶ。大声で笑ったり、暇だから知らない人に話しかける。なんて絶対しない(相手にどう思われるかを気にしているからね)
店に入ると、店員はすかさず笑顔で「いらっしゃいませ」と言い、マニュアルに従ったセリフ、注文が決まりそうな時間を見計らってこちらにやってくる。
お客様重視の接客だ。
ベトナムでは、店員と客の区別がつきにくい。「いらっしゃい」よりも「ああ、来たのか」そんな感じだ。
もちろんメニューなんてあってないようなものだから、客が聞かなきゃ答えないし、全て自由。
そんな違いが私にとっては違和感でしかない。
こういう違和感こそが日本人がストレスと感じたり、生きづらさとなる原因となるんじゃないかな。
日本にいる以上避けられないのだけれど。
だから、私は1年ぶりの日本の変化よりも、自分の心情や感覚的な変化に戸惑いを隠せなかった。
友達はというと。そんな私のいわばカルチャーショックに気付くわけもなく「久しぶり」程度である。
これは、私だけが感じること。私しかわからないこと。
貴重な瞬間である。
しかし、それから数日が経ち、、
やはり私は日本人だった。すっかりこのシステム化された社会。つくられた社会にすっかり慣れ、違和感もなくなってきてしまった。
きっとこれ、さらに1年後の本帰国の時もすぐに日本に慣れちゃうんだろうな。
私自身が感じた変化(備忘録として)
・一人でいること、好きで一人でやっていたことが、誰かといたいに変わっていた。
・人との距離感が近くなっていた。(日本人は嫌がるやつ)
・声がやたらと大きく、あまり人目を気にしなくなった
・ブランド、素材重視だった物欲は消え、安くて自分に似合うものを選ぶようになった。
・美意識が高くなった。
・こだわりが薄れ、怒りやイライラ感情が消えた
・人見知りがなくなり、他人にも話しかけてることがある
・食が細くなった
・甘いものを欲しなくなった
・お酒も弱くなった